歴史秘話ヒストリア 天下人が京都に築いた巨大建造物・戦国武将御用達の秘湯・奇跡の天空の城・歴史の旅の決定版…



出典:『歴史秘話ヒストリア「秋だ!戦国の旅へGO」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「秋だ!戦国の旅へGO」[解][字]


行楽シーズンの秋にお届けするのは、戦国を旅するスペシャル企画。天下人が京都に築いた巨大建造物、戦国武将御用達の秘湯、そして奇跡の天空の城まで。歴史の旅の決定版。


詳細情報

番組内容

秋の行楽シーズンにお届けするのは、戦国を旅するスペシャル企画。戦乱で荒廃した京都で、天下人・豊臣秀吉は、復興のため巨大プロジェクトを実行。秀吉の愛した「京都」の痕跡を訪ねるワンダーツアー。続いて秋につかりたい「温泉」。戦国最強の呼び声高い武田信玄は、隠し湯を使い、家臣のハートをわしづかみ!そして一大ブームを巻き起こす「天空の城」。城を守るために奮闘した人たちの秘話とは!?歴史の旅の決定版。

出演者

【キャスター】渡邊佐和子,【リポーター】岩永徹也,小栗さくら



『歴史秘話ヒストリア「秋だ!戦国の旅へGO」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

歴史秘話ヒストリア 天下人が京都に築いた巨大建造物・戦国武将
  1. 梅林
  2. 京都
  3. 温泉
  4. 秀吉
  5. 天守
  6. 三浦
  7. 小松
  8. 場所
  9. 聚楽第
  10. お城
  11. 信玄
  12. 戦国時代
  13. 天空
  14. 巨大
  15. 痕跡
  16. 大仏
  17. 豊臣秀吉
  18. 歴史
  19. kg
  20. お湯


『歴史秘話ヒストリア「秋だ!戦国の旅へGO」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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考えながら
これからどういうふうな

「歴史秘話ヒストリア」
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

さあ 今日 私は
京都・東山にやって来ております。

ただですね ここから…

一体… どうするんでしょうか?

(スタッフ)今日は 渡邊さんには…

というわけで始まりました
今回の「ヒストリア」。

今日は 戦国時代の歴史秘話を楽しむ旅を
3つ ご紹介する 特別企画。

私の担当は 京都です。

皆さん おなじみの京都。

実は 町並みの そこかしこに

ある戦国武将の痕跡が
色濃く残っていること ご存じですか?

京都を愛し 京都に平和をもたらした
天下人の足跡に迫ります。

続いては 山梨。
温泉の旅です。

旅人は 「仮面ライダー」俳優の
岩永徹也さん。

結構な
歴史好きなんだそうです。

普通の温泉とは
やっぱ ここ違うんですかね。

違いますね。
違いますか。

実は この温泉 戦国最強と名高い
ある武将の強さの源。

ヒントは 「温度」と「黄金」?

3つ目の舞台は 今 人気沸騰中!

旅人は 歴史タレントで 石垣マニアの
小栗さくらさんです。

これ!

今でこそ 観光名所。
そして 町の誇りとなっている城。

ところが
朽ち果てようとした時期が ありました。

その時 立ち上がった人々の思いとは…。

日本を旅すれば
歴史が見えてきます。

さあ 歴史秘話の旅に出かけましょう!

♬~

(鐘の音)

最初の舞台は 古都・京都。
…ということなんですが。

(スタッフ)今 立ってる この場所
っていうのは どこか分かります?

あのね 全く 見当がつかないんですよね。

東山の麓… これ 後ろ

ちょっと こう 何か
こんもりした森になってるのが

何なのかなっていうのが さっきから
気になってはいるんですけれども…。

この場所は
京都の町の東側。

私が気になった森は
有名な東山の一部です。

実は この辺りに ある戦国武将の
お墓があるそうなんですが…。

え?

えっ! うわ~…

頂上までは なんと500段。
上ってみることにしました。

よいしょ。

だいぶ 上ってまいりました。

おっ。
おっ てっぺんが見えてきましたね。

えっ… ちょっと!
階段 上りきったと思ったら

ちょっと また
階段が見えたんですけれども。

あ~ ここが頂上ではなかったんだ…。

気を取り直して上ること 10分。

あれ?

こんにちは 渡邊さん。
こんにちは あら~。

お待ちしていました。
その お姿は!

拝見しております テレビで。
いつも お世話になっております。

京都の旅の案内役は…

「ブラタモリ」で大活躍の
「まち歩き」ガイドで

微妙な痕跡から 歴史をひもときます。

そして 階段を上りきった
山の頂上にあったのは…。

(梅林)渡邊さん
こちらの 大きなお墓なんですけども…

いや 知らないんですけれども

私 先ほどから ちらちらと
灯籠にですね 紋が見えておりまして

秀吉じゃないかと
思ってるんですけれども。

一発大正解ですね。
ほんとですか?  おめでとうございます。

ありがとうございます。

こちらが かの有名な
豊臣秀吉のお墓なんですよ。

秀吉といえば 大阪のイメージですが
お墓は 京都にあったんですね。

実は 秀吉にとって
京都は

重要な意味を持つ
町なんだそう。

そのため…。

ということで まずは
豊臣秀吉が愛した京都を旅します。

私たちが
まず向かったのは

世界遺産 二条城に程近い
町なか。

この場所に 秀吉が

自分の権威を 京の人たちに
アピールするため つくった

巨大なモノの痕跡があるそうです。

実は この辺りに

豊臣秀吉ゆかりの場所が
かつて あったんですよ。 ご存じです?

いや 全く知らないです。

町の中にあるんですね。
(梅林)そうですね。

今のところ 住宅街が…。

私 ちょっと 住所が見えましたけど…。

おっ 何か 引っ掛かりました?

きましたね~。

(梅林)そう!

へえ~。

京都にあった 豊臣秀吉の城…

宣教師 ルイス・フロイスは
こう記しています。

「深い堀と石垣で囲まれた その建物は
豪華絢爛」。

「部屋は 金色に輝き…」。

聚楽第の痕跡は こんなところにも。

ハハッ。
(2人)「メゾン.ド.聚楽」。

(梅林)現在の聚楽第ですよ。
アハハッ!

(梅林)2DKぐらいの聚楽第です。

では 戦国時代当時の本物は
一体 どのようなお城だったのか。

広島大学の三浦正幸さん監修のもと
CGで再現しました。

それでは ご覧頂きましょう。

京都中から見えたと言われる
天守の高さは およそ45m。

日の光の下
そこかしこが黄金に輝きます。

400年余り前の京都には

こんな きらびやかなお城が
そびえていたんですね。

ところが…。

聚楽第は 豊臣家の内紛などが原因で

たった8年で壊されます。

今では どこにあったのかさえ

はっきりしません。

そこで…。

この辺りが いよいよ…

聚楽第の 何か痕跡が…
何か ないかなあって こう

周り きょろきょろしながら
是非 歩きましょう。

素人目に分かるかなあ。

ヒントは やはり
町なかの地形だそうです。

あっ 高い!
高い。

(梅林)あれ? さらに?

失礼します。
ごめんなさい お邪魔します。

もう ここは だいぶ…。

(梅林)下がってません?
下がってますねえ。

気になる段差でしょ?
うん。

下りちゃいましょうか?
いいですか?

こちらは お寺です。

結構 下がってますよね。

♬~

梅林さん ここは
他よりも一段と低いですね。

(梅林)低いですねえ。
低いですね。

あれ~?

だいぶ そっちの建物よりも
こう 下がってますし…

石垣もあるし。

私たちがいるのは
この辺り。

そこに 地形が分かる地図を重ねると

こんな感じになります。

確かに 長方形の
低い土地がありますよね。

ここだけ低いんですか?
(梅林)そうですね。

こう あたかもバスタブのような。
あ~。

(梅林)逆台形状のくぼみに
我々 下りてきたんだなあっていう。

ため池じゃないですしねえ。
近づいてきましたね。

近づいてますか?

え~?

聚楽第という 巨大な城の跡地に
我々が来てるとして

そこに今 逆台形の

バスタブのような くぼ地が
残ってるとするならば…。

そう!
堀だ!

城の周りにあるような堀ですか?

きっと そうだと思いますよ。
え~!

感動でしょ?
感動… えっ 堀の底っていうことですか?

堀の底 堀の底。

こちらは
現在の地形や

発掘成果などから推測した

聚楽第の範囲。

なるほど
こういうことだったんですね。

はあ~。

巨大な堀 そして黄金の天守。

人々は 聚楽第に
大きなインパクトを受けたはずです。

当時の人は もっとねえ…。
(梅林)そうですねえ。

「えらいもん つくらはったなあ」っていう。

でも それだけ
やっぱり 人の心をつかむもの

これが秀吉かと思わせるものが
必要だったっていうことなんですね。

そう思いますよ。

秀吉が愛した京都を
巡る旅。

続いて
やって来たのは

京都駅から歩いて
10分ほどの場所。

ここで 京都を
繁栄させようとした秀吉の

都市計画が
分かるといいます。

東洞院通を過ぎ
向かったのは…

隣の通りです。

…と こちらの
道路なんですよ。

あれ? ちょっと 細い道路ですね。

(梅林)少し 空気 変わりません?

お~ 空気? フフッ。

涼しい? そうかなあ。

(梅林)もうちょっと 行きましょうか。
は~い。

(梅林)この道路がね 何通りかな。

何通り?
(梅林)名前が… おっ。

「まのまち」?

(梅林)…って 読んじゃいますよね。

「ま」ではない… 「あいだ」?
(梅林)おっ。

「あいだのまち」。
(梅林)正解がね…

「あいのまち」?

(梅林)京都の人でも読めない道路の一つ

間之町通っていう道路で…

戦国時代 長引く戦乱のため
都は荒廃しきっていました。

京を治めることになった
天下人・豊臣秀吉は

町の活気を
よみがえらせようとします。

そして つくったのが
私たちが見たような 「通り」。

なんと これが
京都繁栄の秘策だったのです。

平安時代以来
京の町の基本的な区画割りは

碁盤の目 つまり「正方形」。

家屋敷は
四方の通りに面して建てられ

区画の中心は 農地や空き地でした。

秀吉は このスペースを利用し
町を発展させようとします。

通りと通りの「間」に 道を通して
短冊状の区画をつくり

全て 宅地にしたのです。

すると ねらいどおり
京の人口は 3万ほどから

一挙に 10万以上に
増えたといいます。

秀吉の京都改造の一つ
花形事業とも言える。

へえ~。
正方形から長方形。

(笑い声)

京都の旅の最後に
やって来たのは

スタート地点に近い
東山の麓。

ここに秀吉が 京の人たちを
安心させるためにつくった

ある巨大なモノの
痕跡があるというのですが…。

この地形の中で 何か大きなものも…。

これ 私の好きな古墳ですか?

あっ いいところに
目が つきましたね。

違いますか?
古墳のような マウンドが…。

古墳ではない?

(梅林)古墳ではないんです 残念ながら。
ないんですね そっか…。

何か ヒントをお願いします。

(梅林)ベンチ。

更に左手 またベンチがある。

これ ちょっと角度が…
不思議な角度になってますね。

これは 多角形の角?
そうです。 はい。

八角形?
八角形!

上から見ると こんな感じ。

ベンチを頂点に
八角形になっています。

じゃあ いよいよ
真相に ズバリ近づいてみると

振り返ってみましょうか。
はい。 あっ!

実は ここが
豊臣秀吉が 生涯かけて建設した

大仏と大仏殿の跡地なんですよ。
はあ~。

ここに 巨大な大仏様がいた
っていうことなんですか?    いた。

そう 実は
京都にも大仏様がいたのです。

秀吉の造った 京都の大仏。
皆さんは ご存じでしたか?

(動物の鳴き声)

大仏建立の きっかけとなったのが…

広い範囲で 震度6強程度の揺れ。

日本史上最大級の直下型地震でした。

「それは かつて人々が
見聞きしたことがないような

すさまじい地震だった」。

歴史学者の磯田道史さんは

被災した京の人の不安を
静めるため

秀吉が 大仏建立を決意したと

考えています。

…であったと思いますね。

天正地震から 10年後。

大仏は おおむね完成し

あとは 開眼供養を残すのみとなりました。

ところが…。

再び 大地震が襲います。

大仏は 崩れ落ちました。

しかし 秀吉の子・秀頼が
大仏を再建。

その後も
再建を繰り返し

1973年に
4代目が焼失するまで

大仏は 京都の人々に
愛されたのです。

今日は 1日
秀吉の京都を歩いてきましたけども

渡邊さん いかがだったですか?

いや 私 想像してたよりも
ダイナミックでした。

あっ それは もう
一番 今日 うれしいひと言。

もう 秀吉の残した
この町並みそのもの 地形そのものが

こんなにも すごい仕事だったのかと
びっくりしました。

うれしいですね。

そのうえで
秀吉がつくり直した京都に

暮らして 立って 歩いているんだなって
思ってもらえたら うれしいです。

とっても 何か
そういうことを実感した旅でした。

さあ 続いて ご紹介する「戦国の旅」は

行楽シーズンには
是非とも行きたい「温泉」です。

温泉が恋しい季節。

そこで 戦国時代の温泉秘話を
ご紹介しましょう。

旅人は…

ゲームマスターの私こそが!

神だ。

「仮面ライダーエグゼイド」の
個性的な役で大人気。

実は
大の歴史好きだそうです。

そんな岩永さんには

今回 温泉にゆかりがあるという
戦国ヒーローを訪ねてもらいましょう。

ということで 戦国大名とお湯の
取って置きの秘話を旅します。

富士山の西側に位置する…

戦国時代には
既に湯治場として
栄えていたという

由緒ある温泉です。

そして この温泉。

実は ある戦国武将の「強さの秘密」と
関係しているといいます。

こちらです。

町で 一番古い温泉旅館で
聞き込みです。

行ってみましょう。

こんにちは。
≪はい。 はい いらっしゃいませ。

よろしくお願いします。
こんにちは。

誰かの ゆかりがある温泉と
聞いたんですけど

教えてもらってもいいですか?
山梨といえば 武田信玄公。

武田信玄公。

そう 温泉と ゆかりの深い武将とは

戦国最強の呼び声高い
甲斐の虎・武田信玄。

でも どうして温泉が
強さの秘密なんでしょうか。

とりあえず
お湯に入ってみることにしました。

すると…。

あっ…

何か 海に入る時みたい。

プールに入る時みたい。 入ります!

うわ~!

こちらの温泉の温度は
30度ほどと ぬるめ。

そのため 長い時間
お湯につかっていられます。

すると 打ち身など
体の不調に良いというのです。

骨折?
うんうん それでね そのころから…

なくなります?

現在 湯治客に大人気の こちらの温泉。

実は 400年前の武田信玄にとっても

こういった温泉は
欠かせないものだったといいます。

信玄の 強さの理由。

その一つに
家臣団の団結がありました。

勇猛果敢な家臣たちは
ケガを恐れず

信玄を支えました。

一方の信玄も

家臣たちのケガが
少しでも早く癒えるよう

温泉を整備したといいます。

ぬるいお湯から 熱いお湯まで

「信玄の隠し湯」と呼ばれる温泉は
20か所以上。

武田軍団の強さの一端を
うかがわせています。

(鳥の鳴き声)

翌朝。

岩永さんは もう1つ
信玄の 強さの秘密を探ることにしました。

結構 山の中まで来ました。

やって来たのは

下部温泉から
山の中へ5kmほど入ったところ。

その秘密を知る方と 待ち合わせです。

小松美鈴さんは
鉱山の歴史に詳しい学芸員。

子供たちに
地元の歴史を教えるなどの
活動をしています。

どこに 連れてってもらえるんですか?

金山遺跡。
金山 はい。

そう 甲斐の虎・武田信玄の
もう一つの強さの秘密とは…

実は 金と 昨日の温泉には
深~い関係があるんです。

質問なんですけど 金と温泉って
何か関係があるんですか?

この辺りの…

ハハハハハハッ。

ご説明しましょう。

金は 普通 地下深くにあります。

それが 温泉の熱水に溶け込むことで

地表近くまで上がってくるのです。

そのため 山梨のように
温泉が たくさんある場所は

地表近くに金があり
採掘しやすいといいます。

地の利を生かし 武田家は

50もの金山を操業していたと
言われています。

(小松)もうすぐですよ。

歩くこと なんと1時間半。

ひぃ~…。

(小松)はい お疲れさまでした。

えっ どこですか?
(小松)ここですよ。 こちらで~す。

こちらに広がるのが 中山金山遺跡です。

森の中の開けた場所が 金山の遺跡。
ようやく着きました。

(小松)ちょっとね…

こちらを見て頂くと。
ああ 何かありますよ。

これは 何ですか?

(小松)炭焼き窯の跡になります。

炭を焼いたりとか 鉱石を焼いたり
ということが言われていますけれども。

自分たちで こうやって切り開いて
石で作ってるんですよね。

そうですね。

人里離れた 山の中。

テラスのような
平らな土地に暮らしていたのは…

金採掘のプロ集団です。

近くには 彼らが 実際に金を掘っていた
坑道の跡もあります。

(小松)よいしょ よいしょ
よいしょ よいしょ…。

ここですね。 ここまで。

ここが 坑道ですか?
(小松)そうです そうです。

これ どのくらい続いてるんですか?

(小松)実は これ 40mぐらいの奥行きが
あるんですよ。
うわ~ 怖い~。

戦国時代。

鉱山から採れる金鉱石から
金を取り出す技術が進歩。

金の生産に
革命が起こります。

主に 砂金を採っていた
室町時代の初めまで

日本で 1年に採れる金は
平均125kgほど。

しかし 戦国時代以降は
1年に2, 000kg。 なんと16倍です!

その恩恵を受けたのが
戦国武将・武田信玄でした。

信玄は 手にした金を
実に 効果的に使います。

こちらが…。
これが? 何ですか? これが。

(小松)「甲州金」という
500年前に造られた お金です。

お金!

黄金を 家臣に惜しみなく与えた信玄。

温泉が生んだ金の力で

戦国時代を
のし上がったのです。

武田信玄と温泉の秘話に迫る旅。
岩永さん いかがでしたか?

♬~

さあ 旅も いよいよ終盤。

最後に ご紹介するのは 天空の城です。

雲の切れ間に見えるのは…

空に浮かんでいるような姿から
「天空の城」と呼ばれる

こういった山城が 今 大ブーム。

福井県の
越前大野城や

石川県の
七尾城など

歴史ファンに限らず

多くの日本人の心を
わしづかみにしています。

今回 旅するのは 岡山県の備中松山城。

数ある中で 唯一
江戸時代の天守を保っているという

奇跡の「天空の城」です。

これ!

旅人の小栗さくらさんは
かなりの石垣マニア。

更に…。

♬「掲げよ掲げ 己が旗」

♬~

大好きな歴史を題材にした歌を歌う
歴史アーティストです。

♬~

戦国が生んだ絶景に
皆さんを お連れしましょう。

備中松山城があるのは
岡山県高梁市。

町を見下ろす 臥牛山の山頂に
天守があります。

天守までは 中腹にある登山口から
およそ20分の道のり。

案内してくれるのは 三浦孝章さん。

地元の歴史に詳しく

備中松山城を知り尽くした
スペシャリストです。

2人が歩いているのは 天守へ続く細い道。

この細さにも
もちろん 理由があります。

あっ なるほど。

登り始めて10分。

中腹にある
見晴らしの良い場所にやって来ました。

はあっ すごい!
(三浦)ここが…。

いや~ 見晴らしが すごいですねえ。
ああ 城下が…。

(三浦)一望できるところですね。
一望できますねえ。

瀬戸内海と日本海を結ぶ
交通の要衝として栄えた 高梁。

古くから 臥牛山には
砦や城が築かれました。

戦国時代には

山全体が 巨大な要塞に
なっていたといいます。

天空の城は 長年
町の人々を守り続けてきたのです。

更に登ること 10分。

わっ。 あっ これ…

これ ずっと 写真とか映像で見てて
生で見たかったんですよ!

(三浦)アハハハッ!
うわ~!

♬~

そう。 こちらの石垣は

大河ドラマ「真田丸」の

オープニングで使われました。

石垣マニアさんたちにとっては
人気スポットなんだそうです。

ここまで来れば
お城のシンボル・天守は もう目の前です。

いや~ たくさんの石垣を見ながら…。

おっ! お~っ!
ようやく天守が見えました!

(三浦)たどりつきました。
感動! いや~。

ついに姿を現した 天守。

高さは 11mほどです。

こちらも
天然の巨岩の上に建てられています。

江戸時代以前の天守が現存するのは
全国で12か所。

唯一の山城である 備中松山城は

標高432mの山頂にそびえる

まさに 「天空の城」です。

本丸にやって来ました。

すると…。

あれ? あら?

(三浦)これが…。
えっ?

おっ?

ちょっぴり引っ込み思案な ご城主?

(三浦)アハハハッ。 中 入ってるなあ。

いつのまにか住み着いた
という

猫の「さんじゅーろー」。

お城を訪れる たくさんの
観光客の皆さんからも

大人気。

そんなこともあって

古くから 地域を守ってきたお城は
今や 町一番の観光地であり

全国的にも有名な…

ところが…。

この写真を見て頂ければと思います。

これですね。

あれ? これ 松山城…。
(三浦)そうですね。

えっ 戦で ボロボロになったかのような

もう ほんとに 今すぐ
崩れてしまいそうな状態ですよね。

(三浦)そうですね。

お城は 人々から忘れ去られ

崩壊寸前の時期が
あったのです。

きっかけは…

その後 お城は
安値で売りに出されました。

買ったのは 地元の商人。

しかし当時は
今より 山城に近づきにくく

そのまま放置されました。

時は流れ 昭和になります。

放置されて 既に60年余り。

屋根には 草が生え

壁土も多くが
剥げ落ちていました。

この状況に 危機感を持ったのが

地元の教師 信野友春でした。

このままでは 城が失われてしまう。

信野は 城の状況の
細部にわたる記録を始めます。

屋根の形や 使われている瓦の種類。

そして 壁にはられた板の色から

柱 一本一本の長さまで

事細かに記録していきました。

2年後 信野の調査は

一冊の本として出版されました。

すると 大きな反響を呼び起こします。

ふるさとの城が
いかに 掛けがえのないものであったか。

町の人々が思い出す
きっかけになったのです。

その結果。

町は 天守の修復費用として
予算1万5, 000円を捻出。

「天空の城」復活への第一歩でした。

まず天守は 全て解体。

崩れかけていた石垣も 積み直し

柱などの材木は 近くの森から調達します。

しかし 山の上では
どうにもならないものがありました。

天守の屋根に使う瓦です。

瓦が…。
(三浦)そうですね はい。

触って 持ってもらおうと思います。

あっ 重い!
あっ これ 結構 重いですね。

そうですね。
えっ 2kgって
こんなに重かったですっけ?

これ ほんとに お米の2kgを想像して
持ったんですけど

それ以上に重く感じます。

城の屋根を 瓦でふくには

2万枚の瓦を
山頂に運ぶ必要があります。

しかし 大勢の人手と
巨額の費用が見込まれ

めどがつきません。

そんな時 意外な助っ人が現れました。

城の麓にあった 旧制高梁中学校の

生徒たちです。

前田博之さんは 当時2年生。

瓦を運んだ時のことを
よく覚えているそうです。

ちょうど夏休みでした。

前田さんたちは
2kgの瓦を 何枚も背負って

山の上まで運びました。

男子生徒だけではありません。

松本 幸さんも
瓦を運んだ生徒の一人です。

2万枚の瓦運びは 2か月をかけて
ようやく終わりました。

子供たちも加わった 町ぐるみの協力で

瓦は見事
山の上に運び上げられたのです。

備中松山城は
かつての輝きを取り戻しました。

そして今。

お城は 岡山の「天空の城」として
町一番の名所になりました。

日本中から 年間およそ8万人の
観光客が訪れています。

もちろん 地元・高梁市民にとっても

大切な存在です。

♬~

戦国を感じる 秋の旅。

さあ 皆さんは どちらへ出かけますか?

私は もう少し 京都を楽しんで
帰りたいと思います。

ということで こちらで失礼します。

梅林さ~ん お待たせしました。 フフッ。

すみません。
(梅林)行きましょう。

♬~

♬~


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