ストーリーズ 事件の涙「だから私はホームに立つ~新大久保駅転落事故と息子」18年前、人を助けようと線路に…



出典:『ストーリーズ 事件の涙「だから私はホームに立つ~新大久保駅転落事故と息子」』の番組情報(EPGから引用)


ストーリーズ 事件の涙「だから私はホームに立つ~新大久保駅転落事故と息子」[字]


18年前、人を助けようと線路に飛び降り韓国人留学生が命を落とした。その母は、息子の志を遂げようと来日を続けている。浮き沈みが続く日韓関係の中で母が見たものは。


詳細情報

番組内容

18年前、新大久保駅で人を助けようと線路に飛び降り、韓国人留学生が命を落とした。その母は「息子が憧れた日本」を深く知りたいと、今も欠かさず駅を訪ね続けている。事故の後、留学生の勇気ある行動は日韓で賞賛された。しかし、政治レベルで両国の関係は浮き沈みを繰り返した。母も、当初は憤りを感じていたが、息子の思いを追い続ける中で、心に変化が現れる。日韓関係が史上最悪とも言われる今、母は何を思うのか。



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今年も その女性は

新大久保駅のホームに立っていた。

韓国に住む シン・ユンチャンさん。

18年前 ここで一人息子を失った。

≪危ないですからホームの端
歩かないようお願いいたします。

2001年1月26日。

線路に転落した人を助けようと
飛び降りた2人の男性が

電車にひかれ 命を落とす。

その一人が 留学生だった息子
イ・スヒョンさんだった。

3日後 ホームに立った
ユンチャンさんの映像が残っている。

(泣き声)

この出来事は
日韓両国を動かすこととなる。

多くの人々が 勇気ある行動とたたえ

政府は
日韓の絆を深めたとコメントした。

母は 息子の死には意味があったと
自分に言い聞かせた。

しかし その後

歴史認識などをめぐって
両国の関係は 度々悪化。

今年 「国交正常化以降最悪」と
言われるまでに冷え込んだ。

息子は何のために
日本で命を落としたのか。

その答えを探し続ける母の姿を追った。

♬~

韓国第2の都市 釜山。

今年 日本領事館の前では
抗議集会が繰り返されていた。

この町に暮らすシン・ユンチャンさんは
複雑な思いでデモを見つめていた。

今年 69歳になったユンチャンさん。

年金生活を送りながら
社会福祉のボランティアを続けている。

3月

50年近く連れ添った
夫のソンデさんを脳出血で亡くし

ひとり暮らしになった。

ウフフ。

1974年 ユンチャンさんは

公務員の夫との間に
長男 スヒョンさんを授かった。

4, 000グラムの大きな赤ちゃんで
すくすくと育っていった。

勉強もスポーツも得意。

妹思いの優しい兄だったという。

名門大学に進学し
経済学を学び始めた息子。

3年生の時 突然

日本に留学したいと
言いだした。

貿易を学ぶ中で
強い興味を持ったのだという。

それでも 25歳の秋
息子は日本での生活を始めた。

学費は自分で工面するという
熱意に押され

両親は留学を許した。

日本語学校で学び始めて1年。

正月休みで帰省した時
息子は 日本について

こんなことを話した。

この時 ユンチャンさんは まだ

その言葉を
特段 気に留めてはいなかった。

息子が東京に戻って2週間後
思いがけないことが起きた。

日本語学校から 息子が列車事故に
巻き込まれたという連絡が入ったのだ。

夫と初めて訪れた日本は
大雪が降っていた。

警察で目にしたのは
息子の変わり果てた姿だった。

そして ユンチャンさんは
新大久保駅に向かった。

ところが その後
信じられないことが起きた。

日本の葬儀には 長蛇の列。

参加者のほとんどは
息子と縁がない人たちだった。

≪よろしくお願いいたします!
ありがとうございます。

更に 各地で 息子の死を悼んで
募金活動が行われる。

韓国の自宅には
日本各地から次々と手紙が届き

その数は 2, 000通を超えた。

「まるで自分の友達が亡くなったようで
胸が痛みます」。

「この世の中に イさんのように
心の温かい人がいるのを知って

良かったです」。

この時 ユンチャンさんには
思い出したことがあった。

「日韓の懸け橋になりたい」という
息子の言葉だ。

息子の死には意味があったと
自分に言い聞かせた。

懸け橋になろうとした
息子の志をつなぎたい。

そんな思いが きっかけとなって
実現したことがある。

日本に来る留学生のための奨学金だ。

この日 ユンチャンさんが訪ねたのは

かつて息子が学んでいた日本語学校。

事故の翌年 「寄せられた募金で
奨学金を立ち上げたい」

そう考えた夫婦を応援してくれたのが

理事長の新井時賛さんだった。

事務局の立ち上げや 留学生の選考など

あらゆる体制づくりを
ボランティアで行ってくれた。

これは 初めての奨学金授与式の様子。

ユンチャンさんは
夫のソンデさんと一緒に立ち会った。

息子に寄せられた善意が
90人の若者たちに つながれていった。

奨学金を立ち上げたあと

ユンチャンさんが通うようになった
場所がある。

週2回 開かれている
日本の言葉や文化を学ぶサークルだ。

はい それでは こんにちは。

(一同)こんにちは。

日本から届く手紙を自分で読みたいと
思ったことが きっかけだった。

(講師)え~ 平昌オリンピックで
カーリング日本代表選手が

交わした言葉ですね。

「そだねー」。 「そだねー」という言葉です。

このサークルには
仕事で日本と関わりのある人や

留学経験者など 100人が在籍している。

ユンチャンさんは ここに通う中で
日本と韓国の関係を見直すようになった。

カンパーイ!

スヒョンさんの勇気ある行動が
距離を縮めたとまで言われた日韓関係。

しかし その状態は長くは続かなかった。

2006年 小泉総理大臣が
靖国神社に参拝すると

韓国政府が抗議。

2012年には
韓国の大統領が竹島に上陸した。

帰れ! 帰れ! 帰れ!

スヒョンさんが命を落とした
新大久保駅の周辺では

ヘイトスピーチが繰り返された。

こうした中で ユンチャンさんと夫は
頻繁に日本に向かった。

(拍手)

講演を頼まれれば どこにでも足を運び
息子のことを語った。

(児童たち)よろしくお願いします。

自分が危険だなって迷わなかったのかな?

知らない人でも 自分が助けられる命は
助けたいと思ったんだと思います。

国が違っても やっぱり
同じ人間だから

やっぱり助けてあげたいと
思ったんだと思います。

「日韓の懸け橋になりたい」という
息子の思いを

途切れさせたくなかった。

今年 日韓関係は「史上最悪」と
言われる状態にまで陥った。

「徴用」をめぐり
韓国の最高裁判所が出した判決で

両国政府の主張が対立。

関係が悪化する中
両国を行き来する人が減り

定期便の3分の1以上が
運休や減便になった。

こうした中 ユンチャンさんを
悲しい出来事が襲った。

共に 息子の志を継ごうと歩んできた
夫のソンデさんが亡くなったのだ。

夫は亡くなる間際まで
日韓関係の悪化に心を痛めていた。

ちょっとすいません。
申し訳ございません。

新大久保駅を訪ねたユンチャンさん。

息子の思いを
ひとりで背負っていくことになった。

♬~

9月。

ユンチャンさんは この日
ある人たちと会う約束をしていた。

奨学金の設立に奔走してくれた
日本の仲間たちだ。

久しぶりの再会。

10人の仲間たちが足を運んでくれた。

今回の訪問には ある目的があった。

スヒョンさんを記念し

若者が日韓の未来を語るイベントが
予定されていたのだ。

今年で 10年目。
亡き夫のソンデさんも楽しみにしていた。

ところが…。

中止になるのは
10年間で初めてのことだった。

(雨の音)

その後 仲間たちは
夫と息子の墓を訪ねてくれた。

厳しい状況の中で寄り添ってくれたことが
うれしかった。

♬~

10月中旬。

ユンチャンさんは
毎年続けてきた奨学金の授与式に

初めて ひとりで参加した。

「故イ・スヒョン君の遺志を継ぎ…」。

財源が厳しい時期もあったが
寄付を募り なんとかつないできた。

今年は 51人を支援することができた。

どうもおめでとうございました。
ありがとうございます。

(拍手)

頑張って下さい。
はい 頑張ります。

この日 うれしい再会があった。

5年前に奨学金を授与した男性が

ユンチャンさんに会うため
仕事終わりに駆けつけてくれたのだ。

日本の会社で働き始めて
丸2年になるという。

本当にありがとうございます。

OK! OK OK!

1, 000人近くの留学生が
この奨学金で巣立っていった。

私の… 息子!

知ってます。

(笑い声)

(拍手)

10月 ユンチャンさんは
大学生に向けて講演を行った。

(ユンチャン)皆さん こんにちは。

息子から託された言葉を
日本語で語りかけた。

ほんとに お会いできてうれしいです。

(ユンチャン)ありがとうございます。
(拍手)

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