英雄たちの選択「大坂が燃える!大塩平八郎の乱~世直しの衝撃~」貧民救済を掲げ、私塾の門下生と武装蜂起した…


出典:『英雄たちの選択「大坂が燃える!大塩平八郎の乱~世直しの衝撃~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「大坂が燃える!大塩平八郎の乱~世直しの衝撃~」[字]


今からおよそ180年前、大坂の町が焼け野原と化した事件があった。天保8年(1837)、大塩平八郎の乱である。幕府をも、震かんとさせた大事件の真相に迫る。


詳細情報

番組内容

天保の大飢饉(ききん)により天下の台所とうたわれた大坂城下にも浮浪者や餓死者が溢れた。大坂町奉行所・元与力の大塩平八郎は貧民救済を掲げ、私塾の門下生と武装蜂起した。乱はわずか半日で鎮静化したが、武士と農民が連合し、白昼、銃撃戦を展開したことにより、江戸幕府をはじめ、各方面に多大な衝撃を与えた。大塩の世直しのメッセージが、時代にどのような衝撃を与えたのか、新発見の資料から、事件の真相を探る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】藪田貫,須田努,中野信子,【語り】松重豊

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英雄たちの選択「大坂が燃える!大塩平八郎の乱~世直しの衝撃~
  1. 大塩
  2. 大坂
  3. 幕府
  4. 農民
  5. 江戸
  6. 大塩平八郎
  7. 不正
  8. 門人
  9. 与力
  10. 時代
  11. 決起
  12. 史料
  13. 建議書
  14. 自分
  15. 檄文
  16. 江戸時代
  17. 学問
  18. 役人
  19. 事件
  20. 天保


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政治に 不正が はびこれば
名もなき民でも黙ってはいない。

今から およそ180年前

日本を騒然とさせた大事件が
ここ 大阪で起きた。

(砲声)

腐敗した幕府の政治に
大坂の民が もの申す!

300人もの農民たちが
武器を手に幕府方と衝突。

天下の台所は 火の海と化した。

事件は すぐさま江戸へ報告された。

すると 知らせを受けた幕府上層部は
驚がくした。

反乱の首謀者の名は…

かつて江戸にもその名を知られた

大坂の元与力だった。

時は 未曽有の飢饉が襲った天保の時代。

庶民の命と生活が脅かされる一方…。

大坂では 役人たちの不正が横行。

幕府の信頼は
まさに地に落ちようとしていた。

大塩は立ち上がる。

「私利私欲に目がくらんだ役人どもを
誅伐し

商人たちから 米や金を奪って
人々を救済せよ」。

やむにやまれぬ思いが
大坂炎上の大反乱へと かきたてた。

ところが…。

平成の時代に
大塩の極秘文書が発見。

事件の新たな真相が
浮かび上がった。

大坂での不正行為に

なんと 江戸の幕閣たちまでもが
手を染めていた。

大塩は 組織ぐるみの疑惑を糾弾。

「国家の根幹に関わる危機が
大坂で起きている」と訴えた。

さらに 大塩の乱には

飢饉に苦しむ多くの農民たちが
付き従った。

幕府に刃向かえば
家族もろとも死罪も免れなかった時代。

農民たちは
なぜ 大塩と共に立ち上がったのか。

何か こう… 江戸時代の人っていうと

寡黙に 年貢だけを納めている
っていうようなイメージが

我々 ありますけれども
決してそうではなくて。

ある意味…

…というところは
大塩の中にあったのかな。

幕府に挑んだ大塩の真意とは…。

大坂を焼いた乱の真相を徹底究明する!

主張するだけではなくて
行動してくっていう

時代の幕が ここから
開いてきたんじゃないかと思いますね。

つまり もう 何 言っても
やってくれないんですね 幕府も領主も。

やっぱり 正義の人だなと思うんですね
大塩平八郎というのは。

これは 良くも悪くもだと思います。

いくら…
上の人は悪いことしても捕まらない。

…っていうのは
誰も それを追う者がない。

…ということが やっぱ これの
問題点じゃないかなとも思いますよね。

民と国を救うため
命を捨て決起した大塩平八郎。

歴史を変えた世直しの衝撃に迫る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回は 時代の転換点を作ったともいえる
ある大事件を取り上げます。

それが 江戸時代
大坂町奉行の元与力が起こした…

磯田さん この「大塩平八郎の乱」

聞いたことがあるという方も たくさん
いらっしゃると思うんですけれど。

そうですね。 私も 大塩平八郎
初めて この人物について知ったときは

ちょっと衝撃でしたね。
大塩っていうのは たぶん

国や社会の矛盾に かなり
気付いてしまった人だろうと思いますね。

ちょっとでも何か 矛盾や あれが出ると

心に はっきり
映っちゃうタイプなんじゃないかなと。

そういう人が 見るに見かねて
物事に突き進むとどうなるかっていう…。

そういうふうな感じで
考えるようになってきましたね。

その人物像も含めて 大塩平八郎を
見ていければと思うんですけれど

なぜ 大塩平八郎の乱は起きたのか。

幕末が目前に迫った天保年間

多くの餓死者を出してしまった
天保の大飢饉が

日本各地で
猛威を振るった時代でしたよね。

混乱が収まらない…

大混乱の時代といえるんでしょうかね。
そうです。

普通に 俗っぽい人っていうのは その…

何か 国だとか
自分が仕えてるところとかの矛盾に…

見ないふりをすると。

見なかった 聞かなかったことに
するんですけど。

…だったような気がしますね。

何でね 元大坂町奉行所の与力がですよ

農民たちと
この無謀とも思える決起をするか。

学術的にも 研究が進んでますので

この大塩の本当のねらいは何だったのか
とかいうようなことを

とにかく深掘りしていきたいと思います。

では 江戸時代の人々に衝撃をもたらした
大塩平八郎の乱は なぜ起きたのか

こちらをご覧ください。

早朝。

(砲声)

大坂の町に
大砲の轟音が鳴り響いた。

大塩平八郎の乱である。

大塩たちは
商人たちの蔵屋敷に次々と火を放ち

大坂城下の5分の1を焼け野原にする。

それは
島原の乱から200年の時を経て起きた

天下太平を揺るがす 一大事件でもあった。

しかし 大坂城代の鉄砲隊の攻撃により
軍勢は もろくも崩壊。

大塩の反乱劇は
僅か半日余りで鎮圧されたのである。

大塩の乱は なぜ起きたのか。

事件の背景を伝える貴重な史料が

大阪・天満にある寺院に所蔵されていた。

これが 当寺に伝わります
大塩平八郎が乱の前に民衆にまかれた

「檄文」になります。

決起の直前 大坂近郊の村々に
ばらまかれたという声明文である。

2, 000字を超える長文の中には

当時の政治に対する大塩の激しい怒りが
込められていた。

「天下の万民を苦しませる
政治が続けば

国は 滅びの道を
進むことになる」。

「政を担う幕府の役人どもは
賄賂にまみれ

大坂の奉行も
万物一体の仁を忘れ

勝手なことばかりを働き

庶民の苦しみを見ようともしない」。

「大坂の金持ちどもも
大名に金を貸し付け 私腹を肥やし

飢饉に苦しむ貧民たちを
救いもしないありさまだ」。

「我らは 有志の者と申し合わせ

庶民を苦しめる役人どもを
誅伐する決意をした。

市中の金持ちどもも
討ち果たすので

生活に苦しむ者は
一刻も早く 大坂へ はせ参じよ」。

この檄文の中に

大塩の乱勃発の直接の引き金となった
出来事が記されている。

それが 「江戸への廻米」。

大坂の蔵屋敷にあった大量の米を

幕府の役人が
江戸へ送ってしまったというものだった。

当時 日本は天保の大飢饉に見舞われ
大都市は混乱。

農村では 餓死者が後を絶たない
極限状態が襲っていた。

ところが 飢饉の被害が深刻になった
天保7年

幕府は
将軍の代替わりの式典を理由に

大坂の米を江戸に回すよう指示。

すると
町奉行は幕府の命令を受け入れ

大量の米を江戸へ送ってしまうのである。

大坂市中にも
餓死者が出ているというのに

なぜ 米を庶民に分け与えず
江戸へ送るのか。

為政者にあるまじきふるまいだと

大塩は 強い憤りを抱いたのである。

激しい怒りは それだけではなかった。

江戸時代
「天下の台所」とうたわれた大坂。

全国の大名から送られる米が
一堂に集まり

それを売り買いする商人たちの
活気でみなぎる大坂は

日本経済の中心だった。

米の取引がもたらす大坂の富は

鴻池や住友といった豪商たちを生み

その利益にあずかろうと
全国から商人たちが集まった。

しかし 金のある所に
不正が はびこるのは世の常。

少しでも もうけたい商人たちは
城下を取り締まる幕府役人と結託。

賄賂を贈るなど 口利きが横行していた。

役人側も賄賂を受け取り 不正を隠蔽。

水面下で まん延していた腐敗の構造を

大塩は 現役の与力だった時代に
知ってしまうのである。

役人たちは民を救うことには目もくれず

私利私欲のままに 不正に手を染めている。

研究者の森田康夫さんは

檄文をもって決起した
大塩の思いを こう語る。

いわゆる 天下りのですね
城代 あるいは東町奉行 西町奉行

そして
その上にいるですね 幕閣中枢の人々。

大坂の商人からですね… 何ですか

賄賂をもらってですね
それを持ち帰ることによって

出世の道が開ける
という構造になっておるわけです。

政治のですね 政の公正さ。 公正さね。

俗に言う 「公私」ですね。

私にばっかり天下り…

役人も 私にばっかり目を配って
公に目を配らない。

そういうことに対する
大塩の怒りがありましたね。

当時
大坂城代や町奉行などの上級役人は

数年勤め上げたあと 江戸に戻れば
出世が約束されていたのである。

商人と結託して手にした賄賂は
出世のための政治資金。

その不正の闇を

大塩は 与力の職を離れたあとも
許すことができなかった。

怒りを込めた檄文は
こんな言葉で締めくくられる。

「もし疑いの目を向けるならば

我らの所業の終わるまでを
なんじら 眼を開いてよく見よ。

天命を奉じ ここに天誅を行う」。

「天下の台所」と呼ばれた大坂で

なぜ 大塩平八郎の乱が勃発したかを
ご覧いただきました。

磯田さん 大坂では…
当時の大坂では 不正が はびこっていて

それに対して この大塩っていうのは
非常に怒りを覚えていたんですね。

そうです。 大坂で結構 この社会の矛盾を
見たんだと思うんですよね。

じゃあ
そういう状況を変えたいと思っても

大塩は もう出世の道が
ある一程度 もう断たれているわけです。

なぜかっていうと
当時の武家社会っていうのは

席が2つあるんですよ。 今の役人は
キャリアとノンキャリアがありますよね。

当時のキャリアにあたるのが…
超幹部になれるのは

「御譜代席」っていう…。
だけど 大塩たちっちゅうのは

「御抱席」っていうんですね。
ノンキャリなんです。

これは 地役人…
そこにずっといるので

誰に自分の跡を継がせるかの
指名権は持ってるんですけど

要するに…

事務処理は
やらせてくれるかもしれないけど

政策決定できるような… 治国平天下が
できるような職にはいけない。

だから もう焦燥心…
焦りが彼の中で増してただろうと。

ここで
ご覧いただきたいものがあるんですが

こちら。

VTRにもありました

大塩がしたためた檄文です。

藪田さん 大塩平八郎の研究を
されていらっしゃいますが

この檄文から
大塩の どんな怒りを感じ取りますか?

この史料だけで 1時間ぐらい
話ができるぐらい中身の濃い史料で。

一つ 与力であったっていうことが
明確に分かるのは 一番最後の所に

「摂河泉播村村」という形で

宛先を「摂津」「河内」「和泉」「播磨」。

今でいうと大阪府と兵庫県…
民衆というと

「摂津」「河内」「播磨」「和泉」というふうに
なってしまうわけですね。

日本国民… 彼の意図としては 日本国中に
訴えたいとは思ってはいるんですけど

目に浮かぶ人っていうのは
その人たちしかないんですけど

そこが 与力で… 28年近く
与力をしてきたっていうことが

表れてるということです。

もう一つは 先ほどの… 冒頭の

「四海こんきういたし候はば」という

これは儒学のテキストで有名な

「大学」と呼ばれてる
ところの

儒学者なら
ほとんどの人が…

世の中が悪くなっている
というときの

いわばフレーズとして
よく使った言葉なので。

プロパガンダとしては
すごくよく優れていると思いますね。

そうなんですね。
しかし 2, 000字を超える長文ですから

よほどの思いがないと書けないですよね。

まず 思いがなきゃ ならないんですけど。

…と思います。
思いつきでやったんではなくて

確実に 大坂城に向けて
打って出るという。

そして
何百人かの人を集めるということを

計算したうえで行われてるので

そういう用意周到な…
いい宣旨だと思います。

須田さんは 近世の日本人の民衆運動を
研究されていらっしゃいますが。

江戸時代の…
幕藩体制と 私たちはいうんですけども

それを支えていた
政治理念っていうものが

大きく2つあると思うんですね。

その一つが 「仁政」っていう
考え方であり

もう一つは「武威」という概念ですね。

そのうちの大塩の乱っていうのは

仁政が揺らいだっていうことが
天下に出てきたことだと思います。

もう一つは…

…が生まれてるということなんですね。

例えば 北関東ですと
博徒たちのネットワークですね。

それから 無宿たちのネットワーク。

そして 例えば 西のほうでいきますと
民間の土俗的な信仰ですね

それを通じての
ネットワークっていうのがあって

大塩の場合には
陽明学を中心にした学問のネットワーク。

それが 何かのときに
浮かび上がってくるということが

非常に大きな点で。
それが 民衆運動の一つの…

天保期以降の民衆運動の特徴に
なってるんだと思います。

中野さんは この檄文…。

やっぱり
自分も一緒に… なんだろうな…。

自分を
デディケートしたいなっていう思いに

駆られるような
文章だと思うんですよね。

ただ よく読むと

何か こう 田畑を持たない者にも

金などを分け与えるというようなことが
書いてあって

いや 出口戦略は書いてないよねって…。

たぶん 恐らく 彼の頭には
ないんだろうなと思うんですよね。

でも それでいて やむにやまれず
立ち上がったっていうところに

どういう思いが
彼の中にあったのかなって…。

もちろん 民衆のためっていう思いも
あったと思うんですけれども

それだけでは 実は 人々っていうのは
立ち上がらない…

冷静な計算の部分っていうのも
必要ですよね。

その冷静な計算の部分っていうのは

彼は どんな人だったのかな
っていうところに

実は 興味が湧いてしまうんですよね。

私ね この檄文で気になるのがね

文体上は…

…と書かれたり。 僕は
「天の持ち出し」と読んでるんですけど

なぜ 天を持ち出すのかっていうと

これは 幕府や天皇より もっと上にある
天が言うことだから

やらなきゃいけないんだという論理で
上の幕府を乗り越えるわけですね。

ほいで 幕府に文句を言えるのは天皇だと
天皇を持ち出してくるんですが

室町幕府以来 ご隠居同然で
もう 賞罰の権を持っていないから

なんともできないのであると。

こう言ったうえで 最後は

天命を奉じて討つんだというふうに
書いてあると。

だから これってね 私
天の持ち出しっていうのは

何か あらゆる政治運動
この後 ずっとあるような気がしますね。

藪田さん
ちょっと不思議だなと思ったのが

これだけ大坂に
不正が はびこっている中

地役人の与力っていうのは もちろん
大塩以外にも たくさんいたわけですよね。

なぜ ほかの人たちは動かずに

大塩だけが
こういう気持ちになったんでしょうか?

ですから 彼は与力でありながら
学問を始めた。

しかも 哲学を やり始めた。

哲学っていうのは国家の…
国家と人の関わりの学問ですよね。

それを 本格的に
やり始めたっていうことが

恐らく こういう ほかの与力に…
ならない側面を

生み出したっていうことが
あると思います。

しかも それを 本来 学問を
すべき人間がやったわけじゃなくて

しなくてもいい人間が やり始めたという。

こう… 何ていうんでしょうかね
一種の動機づけがあったという…。

彼が選択した学問および哲学は
陽明学であったっていうのが

やっぱり 彼の個性としては
決定的な要因じゃないかなと思いますね。

っていうのは 陽明学は 有名なのは
「知行合一」っていう考え方ですけど

もう一つは
「良知」っていう考え方がありますね。

私心がない行為ですね。 公のために行う。

学問は そのためにあって

その中で公のために救うべきことがあって
論理が正しければ

その行動というのは
間違ってないんですね。

それは 理解できない周りが
悪いんだっていう…

こういうことに
非常に極端になってきまして

大塩というのは それを こういうふうに

煎じ詰めていったんじゃないかなと
思いますね。

出口は考えなくても
やることが大事っていうので

わりと その… 言い方が難しいなあ。

正義マンを生んじゃうなっていう感じはね
したんですよね。

檄文の最後を見ると

本当に成功するかどうかより
見てもらうことが目的なのか

「自分たちの蜂起を目を見開いて
見届けてほしい」なんですよ 最後の所が。

「刮目せよ」ってことなんですね。
「刮目せよ」。 だから「見てくれ」と。

だから 見た人間の心が
何らか変わることを期待して

ひょっとすると 後世に
何かの変化を期待してたかもしれない。

さあ その大坂を騒然とさせた
大塩平八郎の乱ですが その決起には

大坂近郊の農村から集まった
300人もの農民たちが

付き従ったといいます。
なぜ 大塩の乱に

多くの農民たちが参加したのかを
ご覧いただきます。

(砲声)

幕府への反旗を掲げ決起した大塩平八郎。

その大塩に命を預け
共に戦いに立ち上がったのが

大塩のもとで陽明学を学んだ
私塾の門人たちだった。

大阪・天満に
大塩が開いた私塾の跡がある。

塾の名前は「洗心洞」。

江戸からも 一目置かれる
陽明学者でもあった

大塩の教えを乞おうと

城下の若い 与力 同心や
その子息たちが集まったという。

大塩の教えを学んだのは

与力 同心といった武士だけではなかった。

大坂周辺の農民たちも参加した。

中でも 村を取りしきる
豪農の若者たちが

大塩のもとで寝食を共にし
陽明学を学ぶ日々を送っていた。

この大塩の門人となった農民たちが

幕府への武装蜂起に
大きな役割を果たすのである。

なぜ 農民たちは大塩の乱に加わったのか。

手がかりは ほとんど残されていない中

貴重な史料が
大阪府の門真市に残されていた。

これは門真のですね… いました
大塩の門人の史料になります。

大塩の門人となった
門真の ある農民が残した記録。

農民の名前は茨田郡士。

ここからは 大塩と茨田の関係が
どのようなものだったかを

うかがい知ることができる。

こちらは茨田家というですね

門真にいました豪農の

史料になるんですが

茨田郡士という門人が
結婚したときのですね

史料になっています。
こちらにはですね

「鰹節 箱一つ 大塩氏」と
書いてありますけれども

ここの横にですね
「洗心洞先生様」

という具合に
書いてありますので

これが大塩平八郎だ
ということが分かります。

さらに 茨田郡士の父親が亡くなった際
大塩は 葬式の香典を届けている。

大塩と門人の茨田の間で交わされた
冠婚葬祭のやり取り。

この僅かな史料から
読み取れるものがあるという。

まさに 冠婚葬祭のときに 大塩に
「今度 結婚します」であるとか

「お父さんが亡くなりました」
っていったことを

いちいち報告しているわけですね。

大塩は
家族同然のつきあいを門人に求めた

という具合にいわれてますので。 本来は

先生と生徒というような
感じではあるんですけれども

それ以上の つきあいですね。
家族… もしくは家族以上のつきあいを

門人に求めたんだろうという具合に
思います。

それが 結果ですね あの大塩の乱に

つながっていくのかなという具合に
感じています。

大塩は門人を受け入れる際
いくつかの約束を交わしている。

その一つが
「たとえ私生活のことであっても

問題があれば すべて
大塩に相談するように」というもの。

大塩は 恐らく
日頃から つきあいのあった

茨田郡士ら農民たちから
農村の惨状を知ることになる。

天保の大飢饉は 門真の農村にも
かつてない窮乏をもたらした。

指導者的立場にあった茨田たち豪農は

困窮者たちに無償で米を分け与え

なんとかして村の生活を支えようとしたが
一向に改善せず

村は崩壊の危機に瀕した。

しかし 幕府は
そうした農村を救うどころか

将軍の代替わりの式典に
必要だという理由で

江戸へ大量の米を送っていたのである。

このとき 茨田たち門真の豪農たちも
借財を背負い 身動きできなかった。

一体 誰が 村の窮状を救えるのか。

そして ついに
大塩のもとで学んだ農民たちは

行動に出るのである。

何か こう… 江戸時代の人っていうと

寡黙に 年貢だけを納めている
っていうようなイメージが

我々 ありますけれども
決してそうではなくて。

地域で…

…って思うような人たちの思いの総体が

大塩の乱であって…。

平八郎だけのですね 思いによって

成し遂げ… 乱が決起されたわけでは

ないんじゃないかなという気は
するんですね。

門人たちは
大塩の檄文を近隣の村にまき

ちかぢか 大きな騒動が起こるので

生活に困窮している者は
城下に集まるよう触れ回った。

檄文には 「決起に参加しなければ

大坂の金持ちたちから
米や金を取り損なうことになる」と

農民たちを せきたてる言葉も記された。

「大坂近隣の
農民は

庄屋 年寄 小前百姓に至るまでが

立ち上がれ!」。

ここに 幕府に対し
名もなき民衆が結集する

かつてない事態が生まれるのである。

しかし…。

(銃声)

門人と農民たちが決起した戦いは
幕府方の一撃で瞬く間に瓦解。

僅か半日での敗北となるが

大塩の行動は 全国の民衆の心を
強く突き動かしていく。

大塩は 私塾の門人たちに
家族以上の絆を求め

その中の農民たちが
決起に参加したということなんですが

磯田さん 当時は 武士と農民の間には

身分の差が
あったんじゃないんでしょうか?

どうして…。
差も壁もあったんですよ。

だけど 江戸時代の身分の壁っていうのは
2つの穴が開いてたんですよ。

2つの…?
そう。 あのね 1つはね

お茶… 茶道とかで
お茶室で会ったりすることによる

身分を ちゃらにするっていう方法と

もう一つ
これが大きいんですけど「学問」。

なかんずく 会読といわれる読書会。

前に本を置いて 本の… 読書を

みんなで議論しながら
会うんですよっつったら

これは身分も年齢も関係なし。

本に こと寄せて
当時の政府の政策についての 何だ…

自分は こう思う!
とかいうような場でも

「それは 学問研究の場だから」って…。
結構 いける。

いや これがね 僕ね
江戸時代社会が腐っていかなかった

最後までおかしくならなかった理由だと
思ってるんですけど この読書会と学問。

これがね ありがたい…
知的な解放区と言ってもいい。

この学問による知的解放区を
持ってたと。

実感として分かるのは
ろくでもない役人たちに誅伐を加える。

それから 金持ちの町人たちに
誅戮を加えるっていう言葉ですよね。

自分たちの実力によって 社会的な制裁を
行えるんだっていうことが

非常に… いっぱい集まってきた…

恐らく付和雷同で集まってきた者も
いると思うんですけども

そこに 彼らに与えた 一つの…
時代を抜け出していく力

っていうんですかね
それがあると思いますね。

先ほどのビデオがあったみたいに
家族ぐるみのつきあいをしようという。

この ひと言ですよね。

まあ 今なら
ものすごくねちっこい社会なので

いじめばっかり生みそうな
世界なんですけど

ただ 江戸時代の社会でいうと
お互い しかも危機状態の中でいうと

助け合えるという事柄が
実現している世界っていうのは

たぶん ものすごくリアリティーが
僕は あったと思うんですね。

で そのときに 仮に社会が壊れていて
国が面倒を見てくれなくても

その仲間たちで
なんとか頑張っていけるという

一種の連帯感みたいなものが
生まれてくるという。

それは 恐らく この洗心洞という…。

ほかの塾が
みんな そうだったんじゃなくて

ここは そういう学問結社だったんじゃ
ないかなと思いますね。

社会実験みたいだなと思って
お話を伺ってたんですけども。

実は…

経済的に困窮してる人って
実は その人ほど

自己犠牲的に ふるまったりとか
隣近所の人に まず食わしてやって…。

要するに 情を行動原理にするんですよ。

だから とっても
家族的な原理が働いてたっていうのは

とってもよく理解できるんですね。

結構 あと 僕 思うのが

同じ…
大坂の人だからかどうか知りませんけど

私は貧農に生まれちゃったんだから
一生 貧農のままでも

そりゃあ しかたがないですよ
っていうのではないんですよね。

本来 人間っていうのは
一緒であってみたいなところの

何らかのフラットな意識が底流にあるから
羨ましいと思うし 不正をしていると

いらだつ 腹立つ あるわけですよね。
(中野)そう思いますね。

(須田)これ 大坂の特性っていうのが
強くないですかね…?

例えば いろんな人が
この大塩の乱の影響で

大名たちも語ってるわけですけど

大坂で起こったってことを
ものすごく危機意識してますね。

「あそこは太閤びいきの土地なんだ」
っていう言い方ですよね。

だから 江戸の中にも
この乱からの賛同者が出るかもしれない。

大坂っていうのは
そのように見られていて

恐らく 大坂にいる百姓たち 農民たちも
そういう意識じゃないんでしょうかね。

藪田さん 改めて どうして ここまで…

命を顧みない行為だと思うんですけれど

農民たちは
大塩に引きつけられたんでしょうか?

それは 一番難しい問題だと思うんですね。

この檄文もそうですけど
要するに 公としての憤りがあるという。

ただ 大塩は これは 天下国家という…

天よりということで
考えてるわけですけど。

庄屋さんたちは 恐らく
目の前にいる人たちのことがあるので

地域の中の公というようなことを
実現しようとしてたと思うんですね。

単なる
政府に対する反政府運動ではなくして

一種の…

…という要素が 私は あったんだと。

それが恐らく共有した部分で。
この人たちが 一番 ひょっとしたら

大塩事件で
大きな功績を挙げてるかもしれないし

大塩事件の中で 最も純粋な
変革者だった可能性があるというふうに

私は思いますね。

さあ この大塩平八郎の乱ですが
実は 平成の時代に

事件の真相にまつわる新たな史料が
公表されました。

そこから見えてきた大塩の乱の謎に
迫ってみます。

民衆のために立ち上がった大塩。

しかし 近年 事件の見方を大きく変える
史料が発見された。

その史料とは 大塩が決起直前

江戸の幕閣に宛てて送ったという
極秘文書。

平成の時代になって
ようやく全貌が明らかになったものだ。

当時の韮山代官 江川英龍が書き記した
極秘文書の写しである。

文書は 白木の箱の中に収められ

この中に大塩が江戸の幕閣に宛てた密書が
全部で 3通 入っていた。

そして そこには
幕府の驚くべき不正の実態が

記されていたのである。

ここの所に書かれてるんですけれども

「不正の無尽取調書」って

書いてあるんですね。

記されていたのは「不正無尽」と呼ばれた

金銭詐欺の取調書。

庶民がお金を出し合うシステムを利用した
巨額の詐欺行為の告発だった。

「不正無尽」とは

「胴元」と呼ばれる元締めが

町人から金を集め

くじ引きによって その金を配当。

その際に 胴元が不正に高い手数料を

せしめているというもの。

仮に大名が不正無尽に関わったとなれば

改易処分も受けかねない重罪だった。

その不正無尽に なんと
老中をはじめとする幕府の中枢が

大坂商人と結託し 手を染めている。

大塩は その驚がくの不正の実態を
告発したのである。

大塩は
与力のころから丹念に調査を進め

不正に手を染めた幕閣たちの手口をも
暴露した。

その一人が
時の老中の大久保忠真。

大久保は 大坂の商人を世話人にし

「九十人三組」

合計270人もの
参加者を集めた不正無尽を主宰。

3年がかりで9回のくじ引き配当を行い

その結果 大久保の手元に
不当な利益が舞い込むこととなった。

赤字で記されたのは大塩による調査報告。

すると…。

ここにですね
「得益」って書いてあるんですね。

「得益」っていうことは
これ もうけましたってことですね。

で いくら もうかったかっていうと

「716両1分ほど…」。

「これだけ 無尽やって もうけました」
っていうことが書いてあるんですね。

大久保が手にした金は およそ716両。

現代の価値にして
ほぼ1億円という巨額なものだった。

こうした巨額の金を手にする不正無尽に

大久保以外にも4人の幕閣が
手を染めていることを大塩は言及。

その中には
後に天保の改革を行う水野忠邦の弟も

名を連ねていた。

さらに 京都の公家や寺社仏閣も
大坂での不正に関わっていたことを

大塩は糾弾した。

「今 こんなふうにして幕府の面々が

不正無尽に手を染めてる。
それは なんとかしないと

幕府は駄目になってしまう」っていう
意見書じゃないかなと思うんですね。

もう 死を覚悟して これを…

建議をしたっていうことだと
思うんですね。

しかし 大塩の建議書は
数奇な運命をたどる。

決起前日に江戸に宛てて送るが
江戸に届いた時点では

幕府は 大塩反乱の一報で
大混乱に陥っており

建議書を
大坂の奉行所へ送り返してしまう。

そして 飛脚で大坂へ戻る途中
盗賊に遭い

建議書は伊豆の山中に捨てられた。

それを通りがかりの村人が発見。

韮山代官 江川英龍のもとへ
届けられると

中身を知った江川は驚がく。

急ぎ写しを取り
原本を再び 江戸へ送ったのである。

一度は 大塩の建議書を受け取ることを
拒否した幕府。

大塩の告発は
幕閣たちを思わぬ窮地に追い込んだと

橋本さんは言う。

幕府を支えている人たちが

不正をやってるっていうことが
分かってしまうわけですね。

で それが もし 本当だとしたら

幕府を支えてる人たちを

処罰しなければいけないことに
なってしまうわけですよね。

それは 幕府にとっては
できないことですよね。

恐らく 中を見てると思うんです。

で 見てて これは まずいと思って
見ないことにして

持ってきた飛脚に
そのまま持って帰れっていって

渡したんだと思うんですよね。

長年 封印され続けていた大塩の告発。

幕府中枢の不正を暴いた この密書を

大塩は なぜ 決起の直前に
江戸へ送ったのか。

その直後 大坂を火の海にした
真の目的とは

一体 何だったのだろうか。

幕閣たちの不正を告発した
大塩の建議書が

平成の時代になって
見つかったっていうのは

もう すごい新発見ですよね。
うん そうですね。

須田さんは この史料から
どういうことが考えられますか?

あの… 一つは

大塩が考えていたのは
やっぱり 内部告発であって

それは なんとか変えなければいけない
っていうところからの…

内部の改革を行えということを
非常に具体的に

大塩が知るかぎりのところで
それを綿密に出していって

エビデンスを提起したんじゃないかな
というふうに思いますよね。

もう この段階で 大塩は
死を意識してますよね 建議書の段階で。

自分は死んでいくけれども

これで幕府は
このようなことは反省して

民のことを思った政治を
やってくれるというふうに

本人は
本気で思ってるんじゃないでしょうかね。

大塩事件っていうのは 僕は本当に…
冒頭も言いましたが

計算なしに やったみたいに
思うんですけど

すごく計算されてるんです。

…っていうことに
関わるんですけど。

200人ぐらいの人たちで

与力の役宅… 周り 与力ばっかりですよ。

で しかも そこに
大砲が入ってきてるわけですよ。

何か起こすかもしれないと
普通だと 思うじゃないですか。

そうですよね。 確かに。

事前に怪しく思われなくて
当日の朝を迎えているわけですよ。

ということは 2月19日という日には
いろんな意味合いがあるという…。

たくさん人がいても怪しまなかったのは
なぜか?

それは その日が釈奠の日だったんですよ。

お祭りの日なんだ…。
お祭り。 学者ですから

春夏の儒教の孔子のお祭りが
できるわけです。

そのときに門人たちを呼んで

お祭りしてるからっていうふうに
言っていると

人が集められるっていう日になってる。

もう一つは 大砲を持ち込んでも

不思議にならなかった
っていう話ですけど

大坂の城方与力の人たちというのが
堺まで出かけていって

春秋 2回 鉄砲の実習をやるんですね。

「私たちは そこに参加します」
というように言えば

大砲を持ってても 誰にも怪しまれない。

そのために 大砲も借りることができる。

最初 私 この番組が…
大坂の町与力なのに

なぜ起こしたんでしょうかって
言ったけど

これを見ていく過程で
はっきり逆なことが分かる。

なぜか? 大坂にいたら
お金の論理の世界で

お金が… 巨額な金が動く。

で それに対して 政権の中枢にいる
国家を動かしてる大名や老中たちが

その金に群がってる姿がある。

町与力は
警察の捜査担当者の責任者だから

その裏の汚いものを全部見ちゃう。
捜査資料で。

その人が陽明学に触れたら
そりゃあ 起こしますね これを。

ということなので
大坂の町与力の陽明学者だから

この事件が起きたというのが
本当は この… 解明ですよね。

この事件の。

ただですね あの…
建議書を出したのであれば

何も その 大坂という町を焼く必要性は
ないのではないかと…。

はい 同感ですね。
ですよね。

先ほどね 須田さんも その…

何か訴えたい
何か結果を求めて訴えたい。

じゃあ やっぱ 焼かなくて
よくないですかっていう…。

僕は その出口が
たぶん 焼くことだったと思うんです。

はあ…。 どういうことですか?
それは要するに…

そのことを
よほど深刻に受け止めるためには

発信元である大坂で何が起こってるかが
分からなきゃならない。

書類を出して 江戸に着くのは
恐らく1週間後ぐらいですよね。

その時点では もうすでに

大坂が… 大事件が起こってる
ということが大前提であると。

その大事件というのは恐らく…。
焼く?

焼く。
え~…。

(中野)何か あまりにも
人的被害が大きいと思うんですけれども

それでも… それでも建議書のほうが
重いと考えたということですか?

恐らく建議書を ある意味

江戸の老中たちに理解させる…
何ていうんでしょうかね?

メッセージの確実な伝え方
っていうふうに

考えたんじゃないかなというふうに
思うんですけど いかがですか?

いや 我々からしたら
理解できないんだけど。
できないですね。

しかも ましてや もともと
地元の地役人の与力なわけですよね。

本来であれば自分にとっては
地元の民じゃないですか

大坂も大坂周辺も。

ほとんど 普通の人の常識はそうだと
私は思いますね。

だけど 逆にいうと それが…
だから 焼けたのに 焼け出されたのに

大塩のことを悪く言わなかったっていう。

最初から糾弾されるべきものではなくて

弁護される余地を持っていた
下地があったっていう。

それは だから 先ほどから出てくる
大坂っていう場所の持っている

こう… 何ていうのかな?
パワーだったのかもしれませんね。

貴重な史料が残ってました。

さあ そして大塩平八郎の乱は
時代を動かす衝撃となっていきます。

救民の旗を掲げ 大坂城下を火の海とし

一方で 江戸の幕閣に建議書を提出し

幕政の改革を訴えた大塩平八郎。

幕府方の攻撃によって
総崩れとなった大塩は

その後 意外な行動に出る。

それは逃亡だった。

息子の格之助と共に
こつ然と姿を消したのである。

大塩逃亡の一報を受け

幕府は全国に人相書を配布。

建議書を写し取った
韮山代官 江川英龍のもとにも届けられた。

「年の頃は45~46。

目は細くつり上がっており

ひとたび口を開けば弁舌は鋭い。

怪しい者を見たら
すぐさま捕らえよ」と

幕府の威信をかけた大捜索が行われた。

その間 反乱に参加した門人や農民たちが
次々と捕縛される。

それでも 大塩は 姿をくらませ続けた。

なぜ 大塩は逃亡を続けたのか。

一説では 江戸の幕閣が建議書を目にし

政治改革に動きだすかどうか

自分の目と耳で確かめたかったからだと
いわれるが

定かではない。

そして 決起から1か月余り後

天保8年3月27日。

大塩が大坂城下に潜伏していることが
判明。

隠れがを奉行所の軍勢に囲まれると

大塩は 持っていた大量の火薬に火をつけ
息子と共に爆死。

壮絶な最期だった。

天下の台所 大坂を焼いた
大塩平八郎の乱。

それは 江戸時代の日本に
大きな衝撃を与えていく。

大坂では 大塩の乱をきっかけに
大規模な農民一揆が勃発。

大塩の行動に共鳴した民衆たちが

民を救おうとしない幕府に対し
各地で武力蜂起する。

不穏な機運を
一刻も早く収束させたかった幕府は

事件の4か月後には関係者の捜査を開始。

大塩の門人や農民たち
総勢750人余りを取り調べ

翌年 裁決を下した。

その評決文の中で 幕府は

大塩を 徹底的に
おとしめるため

スキャンダラスな
情報を載せた。

それが 一部の大坂の与力たちの
反発を買った。

大塩と親友でもあった

大坂城方与力の
坂本鉉之助は

回顧録の中で 煮えたぎる怒りを
書きつづっている。

「幕府の言い分は 畢竟

犬の遠吠えにすぎない。

平八郎は そんな人物ではない。

みだりに 幕府の政治を

批判するところもあったが

私にとっては 良き友だった。

愚劣なのは
大塩ではなく 幕府ではないか。

そうまでして
彼の人気をおとしめたいのか」。

与力をはじめとする役人たちからも

幕府への違和感が
ふつふつと生じ始めていた。

大塩の乱の後 老中 水野忠邦が
天保の改革を行うが失敗。

幕府が終えんの時を迎えるのは

大塩の決起から
ちょうど30年後のことである。

大阪…

ここに 今年新たに発見された
大塩直筆の書がある。

弟子に対して戒めた言葉を
書いてありますけれども

世の中っていうのを「海」に

それから 体 自分の体を「船」に

それから心を
「舵」に例えて…。

心が しっかりしていれば
船が転覆することもなく

きちんと世の中を
渡っていけるというようなことが

書いてあります。

幕府に対し武装蜂起する2年前

大塩が 私塾の門人たちを
強く戒めた言葉。

「この世は海であり 体は海を行く船。

その船の舵は お前たちの心である。

心の舵がなければ
船は荒海に沈んでしまうだろう。

そうならないための心の舵とは『良知』。

私利私欲のない強い心だ」。

大塩は そう門人たちに説き
みずから乱を起こし 命を燃やし尽くした。

大坂を焼いた大塩平八郎の乱。

江戸時代に起きた未曽有の大事件は

その後の時代に
多くの問いを投げかけている。

須田さん
この大塩の乱が民衆に与えた影響って

どういうふうに考えますか?
大きいですね。

明らかに 天保から
農民たちの主張が変わってきますね。

もう 主張するだけではなくて
行動してくっていう時代の幕が

ここから開いてきたんじゃないかと
思いますね。

つまり もう 何 言っても
やってくれないんですね 幕府も領主も。

つまり…

ならば 実力で 有徳人たちを
攻撃してやれっていうことが

ここから
起こってくるんじゃないでしょうかね。

幕末まで30年あるんですけれども
その30年間の中で

ずいぶん ここから 農民たちの動きが
大きく変わってくる。

その きっかけの一つじゃないかと
思いますね。

藪田さんは
振り返ってきて いかがですか?

結局 大塩を抑える人がいなかった。
あるいは 議論をする… 同じレベルで

侃々諤々 議論する相手が
いなかったっていうのが

彼の不幸だったと私は思うんですね。

僕は この人は 教育者として
非常に よくできた人だと私は思うんです。

「世は海たり」と。
「身は船たり」「心は舵たり」と。

世の中っていうのは いっぱい
波が起こったりするわけなので

そのときに 船が沈んだり
陸に上がったりしないためには

どうしたらいいかって。
いかに心の舵が大事であるかっていう。

「心の舵は何かっていうと それは
良知なり」と書いて結ぶわけですね。

彼は 最後まで…

…っていうところっていうのは
すごく尊いような気がするんですね。

そういう部分と
死を覚悟して大坂の町を焼くという

激しい部分との間っていうのは
普通 我々でも 誰が考えても

恐らく つながらないんだと
私は思うんですね。

それが この事件を
非常に難解にしてるし

いつまでたっても 最終的な解が
出てこないというふうな

原因ではないかなと私は思うんです…。

先生もあれでしたけど
研究されたかもしれませんけど。

…というようなことも
一部では 見られるようになるんです。

そうすると
やっぱり 何なんだろうと思うと…。

いや そりゃあね
人を傷つけたり 家 燃やしたり

火災 起こしたりっていうのは
やっぱり

明らかに やっぱり変な行為ですよ。

だけど そこに追い込まれた論理は
あるわけですよね。

いくら…
上の人は悪いことしても捕まらない。

国ぐるみでやってる悪いことっていうのは
誰も それを追う者がない。

じゃあ それを
はっきり言ってたかっていうと

やっぱり…

何か みんなが
見て見ぬふりをするということが

やっぱり これの問題点じゃないかなとも
思いますよね。

中野さんは この大塩の乱の顛末を見て
いかがですか?

そうですね その後の日本というか
もう だいぶ…

もう 今の日本まで きちゃいますけど

義務教育の水準で
この大塩平八郎の乱をやるっていうのが

まあ すごいことだよなとは
思うんですよね。

ただ 一方で 私自身は…

あんまり支持する気には
なれないんですね。

それを やっぱり 両方 両輪で
考える必要はあるなと思うんですね。

やっぱり
自分こそ正義となってしまって

それをフィードバックをかけられる機構を
作らないと 機会を持たないと

これは どこでも同じようなことが
やっぱり

起きかねないなというふうに思いました。

さあ 磯田さん
大塩平八郎の乱 見てきましたけれど

ここから どういうことが 私たち…

現代に生きる私たちは
読み解けるんでしょうか?

大塩の行動って
むちゃには見えたけれども

実は 導火線には 確実に火をつけていて
幕府で駄目なら

天だ 天皇だっていうような論理が
中に組み込まれていて。

同じように陽明学をやってる松下村塾で
吉田松陰は 彼のことをよく研究したし

もちろん 西郷だって これを見ているし。

それで じゃあ 幕府じゃない
もう一つの道っていうことに対して

違うやり方で やっぱり
考え始めるようになると。

でも やっぱり
僕 また もとに戻るけれども

知的な解放区を持ってる
身分だとか立場にとらわれず

見て見ぬふりをせず
思ったことを自由に言わせて

いや あれは そう思いますよね
とかいうのを

本当に国のトップにいる人から
もう普通の市井の人も学生さんも

みんな話すようなシステムの
大事さっていうのは

とっても思いましたね。

ところが この空間を
ちゃんと持ててないっていうか

江戸時代ほどに 本当に 我々の社会は
持ててるかどうかっていう… さえも

ちょっと 僕も
心配になってるとこですので。

この辺のことは
すごい考えさせられましたよね。

どうしたらいいんでしょうか?
どうしたらいいんでしょうかね?

考えさせられます。
はい。

…だし 学問で人は いかようにでも
動いてしまうんだなっていうことを

私は 何か 思いましたね。
ああ そうですか…。

というわけで 皆さん
今回は ありがとうございました。


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