歴史秘話ヒストリア「網走監獄 最果ての苦闘」なぜ巨大監獄は作られ…・脱獄王と勝負・元囚人の更生…お坊さんの秘話。



出典:『歴史秘話ヒストリア「網走監獄 最果ての苦闘」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「網走監獄 最果ての苦闘」[解][字]


映画「網走番外地」や漫画「ゴールデンカムイ」に登場する網走監獄。一体なぜ巨大監獄は作られたのか。脱獄王との勝負の行方。元囚人の更生に人生をかけたお坊さんの秘話。


詳細情報

番組内容

日本最北の監獄、網走監獄。映画「網走番外地」や漫画「ゴールデンカムイ」に登場する。一体なぜ最果ての地に巨大監獄は作られたのか。背景にあった国際情勢とは?そして囚人が投入された過酷な巨大国家事業。過去に2度の脱獄を成功させた脱獄王が網走刑務所へ。本人の肉声から明らかになる脱獄の手口と動機。そしてバトルの行方は。さらに元囚人の更生に人生をかけたお坊さんの秘話。今のまちに引き継がれたある遺産とは?

出演者

【出演】高坂和弘,バッドナイス常田,菅原卓麿,【キャスター】渡邊佐和子



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歴史秘話ヒストリア「網走監獄 最果ての苦闘」なぜ巨大監獄は作られ
  1. 囚人
  2. 寺永
  3. 白鳥
  4. 監獄
  5. 網走監獄
  6. 看守
  7. 脱獄
  8. 北海道
  9. 網走
  10. 元囚人
  11. 刑務所
  12. 過酷
  13. 食事
  14. 脱獄王
  15. 道路
  16. 網走刑務所
  17. 有馬
  18. 格子
  19. 脱走
  20. 突如


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皆さ~ん こちらです。

格子の間から失礼いたします。

いや~ これ
扉 重くて がっしりとしてますねえ。

「歴史秘話ヒストリア」
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

さあ ここは 網走監獄です。

明治時代から昭和にかけて
実際に使われていた監獄が

今は 博物館になっています。

「一度 門をくぐったら
二度と戻れない」と

恐れられてきました。

数々の作品に描かれています。

明治時代の北海道を描いた漫画
「ゴールデンカムイ」にも

網走監獄は登場します。

名優・高倉 健が 脱獄囚を演じた
「網走番外地」。

どうして こんなこと
俺 巻き込んだんだよ。

そんなつもりはなくても
しかたがねえだろ。

腐れ縁だよ 腐れ縁。

今からでも 遅くはねえんだよ。

極限状態に置かれた囚人たち。

最果ての監獄で繰り広げられた
波乱万丈のドラマに迫ります。

♬~

明治時代の北海道。

網走に来た囚人たちを待っていたのは…

並べ!

原野を切り開き
総延長 228kmの道路をつくる…

成功のカギを握るのは
「鬼」と呼ばれたトップの秘策。

囚人たちの 命を懸けた苦闘に迫ります。

脱獄不可能とされた
網走監獄にやって来た…

刑務所は あの手この手で対策を施し
万全の体制で迎え入れました。

お前も おしまいだ。

完璧な警備の隙をついた
驚愕の手口とは…。

脱獄王と刑務所の…

「仁義なき戦い」です。

突如 解き放たれた大量の囚人。

網走の町は
異様な雰囲気に包まれました。

おお 生きがいいなあ。

行き場のない囚人に
手を差し伸べた 僧侶。

罪を犯した人を
どのように受け入れていくか。

最果ての網走監獄。

格子越しに見た 日本の姿です。

♬~

オホーツク海に面した
北海道 網走市。

市内から 車で10分のところに
網走監獄はあります。

毎年25万人ほどが訪れる
一大観光地です。

お目当ては 昭和の終わりまで
使われていた監獄の施設。

うち4棟が
国の重要文化財に指定され

当時の 囚人の暮らしぶりを
知ることができます。

網走監獄には 当時 囚人が
どのような扱いを受けていたのか

体験できるコーナーがあります。

囚人たちは まず
このように 編みがさを かぶせられて

連れてこられました。

これは 視界を狭めることで
周囲の地形を覚えさせないためです。

更に 足下には

こちらの「鉄丸」と呼ばれるものが
つけられました。

鉄球の重さが4kg
更に 鎖の重さが1kgで

合わせて5kgと かなり重いです。

この鉄丸。
実際に 身につけて歩けるんです。

あ~ 重いな ほんとに。

あ~… かなり 足首が

人に 引っ張られてるような感じですね。

囚人たちは
厳しい拘束を受けていました。

一度入ったら 二度と出られないと
恐れられた 網走監獄。

氷点下25度を下回る極寒の地では
生き抜くことも困難でした。

こちらの施設は 囚人が使っていた浴場。

冬場でも 湯につかる時間は
たったの9分しかありません。

なぜ こんな過酷な場所に
監獄がつくられたのでしょうか。

網走監獄の始まりは 明治23年。

懲役12年以上の重い刑を科せられた
囚人が集められました。

その数 1, 200人余り。

初代の責任者は
警察官出身の有馬四郎助。

27歳の若さで

国のために働きたいと
自ら志願しました。

≪失礼します。
入れ。

有馬には 明治政府から
重要な使命が与えられていました。

囚人を使った 巨大道路建設プロジェクトです。

旭川と網走を結ぶ 228km。

原野と深い森に覆われ

無謀とも言われた計画でした。

そこで 目をつけたのが
「厄介者」とされていた囚人でした。

「彼らは
もともとが悪いのであって

過酷な苦役にあてて 倒れても

監獄費の支出が減るわけで

やむをえない政略なり」。

有馬は 3年かかると試算された工事を
8か月で終わらせるよう

政府から 強く求められていました。

速く歩け。

総勢 1, 115人の囚人が
道路建設に駆り出されます。

止まれ!

有馬の最大の心配は 囚人の脱走。

凶悪犯が逃げれば
政府が非難される おそれがあるからです。

よし。 お前ら2列に並べ。

(看守)2列だ! 並べ!

つなげ。

脱走を防ぐため 考え出した秘策。

それは 囚人を
鎖で 2人1組に縛ることでした。

身動きを封じられた
囚人たち。

課せられた労働は 過酷でした。

原野を切り開き 土を運ぶ。

建設用の機械はなく 全て手作業でした。

当時の 現場の写真です。

人力だけで 幅6mほどの道を
築きました。

ううっ!
んっ!

1日15時間に及ぶ
過酷な労働が続きました。

つらい境遇に耐えかね

看守の隙を見て逃げようとする
囚人も現れます。

おい 今なら逃げられる。
お前も一緒に来い!

駄目だ。
そんなことしたら殺される!

俺一人じゃ逃げられないだろ。
いいから来いよ!

嫌だ!
おい こいつ逃げる気だぞ!

(看守)何!? 貴様!

反抗的で 逃げるおそれがある囚人には
従順な囚人を組み合わせる。

こうして 看守は
共謀するのを防ごうとしたのです。

(看守)手錠を持て!

それでも 逃げ出す者もいました。

(看守)囚人が逃げたぞ! 追え!

あそこに隠れるぞ!
ああ!

逃亡者を見つけるため役立ったのが
この囚人服です。

森の中でも目立つよう

派手なオレンジ色に
染められていました。

(看守)逃げられると思ったのか!

こうして 脱走は食い止められ

囚人たちは
道路建設に向き合いました。

一刻も早い完成を
政府から命じられた 有馬。

更なる策を巡らせます。

こちらは 「動く監獄」と呼ばれた
移動式の仮小屋。

作業場所の近くで 寝泊まりすることで

監獄と往復する時間が 節約できます。

囚人たちの枕は
近くの木を倒して作った 一本の丸太。

朝が来ると…。

(たたく音)

こうして
たたいて 一斉に起こしたのです。

情け容赦ない姿勢。

有馬は やがて
「鬼」と呼ばれるようになりました。

なぜ ここまでして

道路の完成を急がなければ
ならなかったのでしょうか。

そこには 明治日本に迫る
国際的な危機がありました。

シベリア鉄道を建設し

軍隊を 極東に送り込もうとしていました。

日本は
北の守りを固めるため

防衛と開拓を担う兵士
「屯田兵」を配備します。

屯田兵の移動のための
道路の建設こそ

囚人たちに課せられた使命でした。

それを 与えられた工期間…

日が沈んでも 作業は終わりませんでした。

やぶ蚊が大量発生する中 続いた
突貫工事。

ついに 囚人たちは 限界を迎えます。

おい しっかりしろ。

先に進むぞ。

囚人の およそ2割にあたる
211人が命を落としました。

多くの犠牲の上に築かれた 巨大道路。

着工から 僅か8か月。
ついに 完成の日を迎えます。

この後 北海道の開拓は
飛躍的に進むことになるのです。

国道39号線に続く道に来ています。

この辺りの道路も 明治時代に

囚人たちによって切り開かれた道が
もとになっています。

すぐ脇には こちら
こんもりとした塚があります。

「鎖塚」と呼ばれます。

一説には この塚を掘った時

人骨と鎖が 見つかったからだそうです。

他にも 囚人が建設した道路の脇には
慰霊碑が いくつも建てられています。

北海道の大動脈を築いた
囚人たちの鎮魂を願って

今も 毎年 供養が行われています。

♬~

日本最北の地に築かれ 重大な罪を犯した
凶悪犯が送り込まれた 網走監獄。

ここでは
何度も脱獄騒ぎがありました。

囚人16人が 突如 看守を襲いました。

服を奪った囚人は
大胆にも 自ら看守になりすまし

仲間を引き連れて
監獄を抜け出そうとします。

異状なし。

しかし 悲惨な運命が待っていました。

冬場だったため…

その後も 脱獄者が相次ぎ

網走監獄は
セキュリティーの強化に乗り出します。

こちらは
明治45年に建てられた監獄です。

中には 脱獄を防ぐ仕組みが
至る所にあります。

まず こちら 「中央見張台」。

看守から見ると 一目で 廊下が
まっすぐ見通せるようになっています。

実は この監獄
5つの建物が 放射状に配置されています。

その基点にあるのが 中央見張台。

囚人が脱走を図って 廊下に出れば
たちどころに 監視の網に掛かります。

更に この廊下にも
ある仕組みがあります。

看守の立場で歩いてみると

このように 格子の間から
部屋の中が見えるようになってます。

しかし 囚人の立場になって
中に入ってみましょう。

さあ そうすると…。

このように 反対側の部屋は
見えないようになっているんです。

これは 格子の形が
斜めになっているからなんです。

こうすることで 囚人同士の
コミュニケーションを阻止する。

何度も起きていた集団脱獄を
計画させないためです。

脱獄不可能とも言われた 「最恐の監獄」。

しかし ここに
稀代の脱獄王が連れてこられます。

<稀代の脱獄魔 白鳥の第1回公判は…>

その男の名は 白鳥由栄。

青森の農村に生まれた 白鳥。

蟹工船の船乗りとして働くうち
賭博を覚え

金に困って 強盗殺人を犯しました。

その後
青森と秋田の刑務所から

2度にわたって脱獄。

昭和18年。

最も恐れられていた
網走刑務所に送られました。

入れ 白鳥。

(扉が閉まる音)

ここに来たら お前も おしまいだ。

白鳥のいた独房は
ひときわ厳しく管理されていました。

脱獄のための道具や情報が
手に入らないよう

トイレも食事も この部屋で。

更に 脱獄を防ぐため
特製の扉が作られました。

この24房の視察孔は
特別に作られておりまして

このボルトを留める金具が
二重に締められています。

…ということが分かります。

(看守)くっ…!

面倒かけやがって…

この人間以下の クズが!
オラッ!

うらぁっ!

お前が生きてるかぎり
外さないからな。

万全の構えで迎え入れた 網走刑務所。

しかし 白鳥の心は 脱獄への執念で
燃え上がっていました。

晩年の白鳥に 直接 話を聞いた…

(斎藤)これがね…

白鳥は 東京・台東区の

簡易宿泊所に暮らしていました。

脱獄王 70歳の時の貴重な肉声です。

(雨音)

脱獄を決意した白鳥は
幾日も 独房を見回し

あるものに 目を留めました。

食事で出される 味噌汁です。

♬~

なんと白鳥は 味噌汁を
格子の付け根に吹きかけました。

来る日も 来る日も。

一体 何を ねらっていたのでしょうか?

白鳥は この…

次に取りかかったのは 特製の手錠。

固く締められたボルトは

ちょっと かじったくらいでは
びくともしません。

しかし 白鳥は諦めませんでした。

(歯が折れる音)

うっ… うう…。

1年間 かみ続けました。

歯を2本折りながらも
強引に外すことに 成功したのです。

決行の日は 夏の終わりの8月26日。

看守の交代時間を見計らい
脱獄作戦の幕が開きます。

まず 腐食した鉄格子を外して
穴から外へ抜け出そうとします。

しかし ここで問題発生。

肩が引っ掛かったのです。

穴の大きさは 横45cm。

縦20cm。

身長179cmで
肩幅も広かった白鳥には

抜けることができないサイズでした。

そこで くじけないのが脱獄王。
思いも寄らない行動に出ます。

(肩が外れる音)

なんと 自ら 両肩を脱臼させたのです。

(きしむ音)

♬~

でも 本当に 自分で肩を脱臼させることが
できるのでしょうか?

特異体質だったという 白鳥。

肩を はめ直します。

目指すは 廊下の上の そのまた上。

そこには
明かり取りの天窓がありました。

窓ガラスは 厚さ7ミリ
しかも鉄線入りです。

そこで とった行動は…。

決死の頭突き。

その後も
捕まっては脱獄を繰り返した白鳥。

しかし 逃亡中に

突如 自首します。

きっかけは ささいな出来事でした。

白鳥は 札幌の街で警官と出会い
タバコをねだります。

その時の温かい対応に
心を動かされたのです。

白鳥は 二度と
脱獄を図ることはありませんでした。

模範囚として刑期を終え
71歳で この世を去ります。

脱獄王が 生涯 求めたもの。

それは 一人の人間として
扱われることだったのです。

博物館の食堂にやって来ました。

観光客に人気のメニューが こちら。

では 失礼して いただきま~す。

うん おいしそうですね~。

いただきます。

うん。 お肉の味が しっかりしていて
とっても おいしいです。

実は このハンバーグに使われている お肉
監獄と深い関わりがあります。

ここから
車で5分ほどのところに
今もある 網走刑務所。

ここに収容されている人が
飼育している和牛が

使われているんです。

網走刑務所が運営する農場です。

受刑者たちは
黒毛和牛を育てています。

名付けて…

肉質に優れ 最上級のA5ランクに
認定されたこともあります。

この農場には 珍しい特徴があります。

刑務所の施設にもかかわらず…

♬~

時代とともに
刑務所は 社会復帰を促す場所となり

刑務官と受刑者の関係も
変わりました。

かつて 過酷な労働や 厳しい罰を受ける
場所として知られた監獄は

現在 刑務所に変わり

資格の取得など
更生に向けた取り組みが始まっています。

一度 罪を犯した人は
その後 どう歩めばいいのか。

網走監獄では その問いの原点となる
出来事がありました。

明治30年 網走に異変が起こります。

突如 囚人たちが解き放たれ
町にあふれかえったのです。

きっかけは
皇族の死去に伴う 「恩赦」。

刑期が短くなったり

刑罰そのものが
消滅しました。

釈放された囚人は
北海道全体で
2, 500人。

網走の町では 元囚人たちによる
トラブルが起きます。

お待たせしました。
おせえよ。

おせえんだよ もう ないんだよ。
はいはい はいはい。

小便 行ってくるわ。
おう。

てめえ 俺の目の前
歩いてんじゃねえぞ!

すいません!

おお 生きがいいなあ。

そんな彼らに
救いの手を差し伸べた人物が…。

こんなところで くさってないで
うちに おいでなさい。

寝るところと食事を用意しよう。

網走の寺で
住職をしていました。

さあ どうぞ。

寺永は 元囚人を家に連れてくると
必ず 食事を振る舞いました。

彼らに寄り添う第一歩が
この食事の場でした。

御飯の量まで
寺永は 気を配っていたといいます。

何か そういう嫌なことを
考えるようなことを しないようにして…

引き取った元囚人たちは
さまざまな事情を抱えていました。

11歳の時に 家族に捨てられ
強盗を犯した者。

両親が亡くなり

経済的に追い詰められて
山賊になった者もいました。

家族も 帰るべき家もなくなり
犯罪に手を染めた 元囚人たち。

彼らに対して 寺永は
まるで 自分の子供のように接しました。

監獄の町で 元囚人たちの更生に
情熱を注いだ寺永。

浄土真宗の小さな寺の五男として
石川県で生まれ育ちました。

(読経)

若き日の寺永に影響を与えたのが
浄土真宗を開いた 親鸞です。

寺永は 新天地・北海道に渡り
網走を活動拠点に定めます。

囚人たちに 罪を償い
再出発することの大切さを訴えました。

(寺永)やってしまったことは
取り返しがつかないけど

悪かったことを 自覚さえしていれば
あとは 自分を変えていくだけだ。

とは言ってもよ 俺らは 勤め上げても
外に出たら悪者扱いされんだよ。

そうだよ。
そうだ なあ?

俺ら ろくな扱い受けねえぞ。
そのとおりだよ。             だよなあ?

いざ 再出発を切ろうとしても

囚人たちは 社会に
なかなか 受け入れられませんでした。

そんな状況を
寺永は変えようとします。

「出所した彼らを導いて

犯罪を 未然に防がんとす」。

囚人たちの社会復帰を促す
「更生」。

寺永の挑戦は
困難を極めました。

網走の町で 働き口を探しても…。

うちの若い衆を
雇ってはくれないだろうか。

だって… 元は囚人だろ。

いくら お坊さんの頼みでも
無理ってもんだ。

無職の囚人たちが あふれる寺は

「泥棒の下宿屋」と
陰口を たたかれます。

更に 檀家からも

「囚人の面倒を見るなど
もっての外だ」と

痛烈に批判されました。

それでも 寺永は 頭を下げ続けました。

あ… もし 働かせて
駄目なようでしたら

いつでも引き取ります。

お願いします。

そこまで言うんなら…。

ありがとうございます。

ほら お前も頭下げろ!

ありがとうございます。

問題が起きたら 駆けつけると約束して

やっとのことで
働き口を確保しました。

やはり…

…と思うんですけれど。

そんな活動を10年以上続けた ある日。

町の人たちがやって来ました。

明治天皇が亡くなったことで
再び決まった恩赦。

かつてないほど多くの囚人が
釈放されると知り 相談に来たのです。

その時 寺永は こう説いたといいます。

皆さん 聞いてくれ。
彼らを受け入れてやろう。

怖い怖いと遠ざけてばかりだと
彼らは行き場を失い

また 犯罪を繰り返してしまう。

分かるだろう?
この町から 監獄がなくならないんだ。

それなら 囚人たちを
温かく迎え入れてやろうじゃないか。

確かに うちに来たやつも
よく働いてくれてるし…

皆で受け入れよう。
≪うん。

お坊さんの言うとおりだ。

あ… ありがとうございます!

寺永の説得を 町の農場主は受け入れ
元囚人は 開拓にあたりました。

いや~ 助かりますよ 寺永さん。

恐れ入ります。

これは 北海道が 農業王国として発展する
原動力となりました。

切り開かれた大地は
今に引き継がれています。

♬~

囚人たちと 社会との橋渡しに
生涯をささげた 寺永。

網走監獄は 感謝を込めて
ある贈り物をしました。

こちらが 網走刑務所から譲られた
正門になります。

監獄の正門。

囚人たちが刑期を終え 社会に戻る時に
くぐったとされる扉です。

寺永は 65歳で この世を去ります。

葬儀の日 門の前には
1, 000人近くが集まり

その死を悼みました。

寺永の もう一つの遺産があります。

町の人々の寄付を集めてつくった

元囚人の寄宿舎。

今も形を変え 残されています。

出所した 10人ほどの元受刑者が
共同生活を送る

北海道で最も古い 更生保護施設。

朝には迎えが来て 網走市内の仕事場へ。

町には 元受刑者を積極的に受け入れ

更生事業を支援する会社が
多くあります。

網走監獄から出所した人が
必ず通ったという…

名前には ある戒めが込められています。

「水面を鏡として 我が身を見つめ直せ」。

再び罪を犯し
戻ってはならないというのです。

二度と生きては出られない
終わりの地として恐れられた 網走監獄。

今 新たな一歩を踏み出す人たちの
再出発の地になっています。

♬~

♬~


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