徹子の部屋 増田惠子~93歳で逝った産みの母の想いに…~ ピンク・レディーのケイちゃんこと、増田惠子さんが…


出典:『徹子の部屋 増田惠子~93歳で逝った産みの母の想いに…~』の番組情報(EPGから引用)


徹子の部屋 増田惠子[解][字]


~93歳で逝った産みの母の想いに…~増田惠子さんが今日のゲストです。


詳細情報

◇ゲスト

ピンク・レディーのケイちゃんこと、増田惠子さんがゲスト。47歳で結婚した当初、些細な事で夫との喧嘩が絶えなかった時、夫婦仲に関するある言葉で自分を変える事ができたという、その言葉を明かす。

◇番組内容

幼い頃に父親を亡くし伯母夫婦の養女となった増田さん。芸能界に賛成の実母と反対の養母の間で板ばさみにあった事もあったが、2人の母を看取れたことが良かったと語る。4年前に亡くなった実母は89歳まで1人暮らし、その後に入った老人ホームの費用も自分で貯蓄していたというしっかり者。些細な事で夫とケンカした際、話を聞いてもらおうと母のもとを訪ねた増田さん。自分の話ばかり続ける母に圧倒され、帰ろうとしたところ…

◇おしらせ

☆『徹子の部屋』番組HP

 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/


『徹子の部屋 増田惠子~93歳で逝った産みの母の想いに…~』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

徹子の部屋 増田惠子~93歳で逝った産みの母の想いに
  1. 自分
  2. 主人
  3. 本当
  4. ピンク
  5. レディー
  6. ケイ
  7. コンサート
  8. 富士山
  9. 結婚
  10. 最初
  11. 時間
  12. お肉
  13. ファン
  14. 一緒
  15. 運動
  16. 応援
  17. 全部
  18. 年前
  19. 伯母
  20. 老人ホーム


『徹子の部屋 増田惠子~93歳で逝った産みの母の想いに…~』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓テレビ朝日関連商品

(黒柳)歌手生活43年で

いらっしゃいますけども

もう ピンク・レディーの頃からと

全然 スタイルは変わりません。

増田惠子さん 今日のお客様です。

どうぞ お入りください。
(拍手)

まあ 素敵なお洋服だこと。

どうも しばらくでございました。

どうぞ お座りくださいませ。
失礼いたします。

よく日頃
鍛えていらっしゃるのかしらね

体をね。
すごく鍛えてます。

そうでしょうね いかにも…。
いろいろ伺います。 どうも。

なるほど。
(拍手)

あの… ピンク・レディーは
解散ではないそうですけど。

えっと 1981年に
一度 解散しましたけれども

2010年に解散やめをして。
フフフ… そうですよね。

継続中です。
継続中…。

でも あの頃…。
そうそうそう 懐かしい。

これは 昨年の…。
あっ そう。

暮れの…
『レコード大賞』にゲストで。

そうだわね
お出になった時に 私ね

どうして
体を ああいう風に鍛えて…

昔と同じように
いられるんだろうと思ったけど

いつも鍛えて…?
はい。

私は えっと…

三十… 三十前半ぐらいから

クラシックバレエを始めて。
そうなの?

週… 最初は
週2だったんですけれども

今は週1で クラシックバレエを

ずっと もう 30年以上やっていて。
すごい。

で それ以外に ピラティスも
7~8年ぐらい前から。

あっ そうなの。
そういうのが全部…。

はい これがピラティスの先生と。
ピラティスだわね。

体幹を鍛えるために…
はい やっております。

なるほどね。 だからでしょう。

全然 あの…
ピンク・レディーになった時に

なんら変わる事ない
スタイルだったんで。

そうですか?
ビックリしました 私。

ああ… そうですか。
あんな急に言われても

すぐ ああいう風に
なれるんだと思って。

確かに そうですよね。
なので あの…

まあ ファンの方の記憶の中に
残っている…

残像が とても強いと思うので

また そういう部分を
裏切らないためにも…。

また 姿形だけではなくて
パフォーマンスも

昔以上にできるようにと思って。
あっ そうなの? うん。

8年前に一度
全国ツアーのコンサートに

16カ所かな? やりまして。

今では あんな風に
『レコード大賞』に呼ばれたりとか

そういう時には…。
そういう時は そのちょっと前に

稽古するっていう感じ?
そうですね。

それでも2~3日。
あっ そう。 2~3… そうですか。

加藤登紀子さんが歌ってらして
阿久悠さんの曲だった

『富士山だ』っていうの
あなたが歌ってらっしゃるの?

そうなんです。
ちょっと見てみる?

ああ ありがとうございます。

♬~「だれでも だれでも
富士が好き」

すごい!

面白い。
面白いですよね。

♬~「富士山だ 富士山だ」

お風呂屋さんってね
ああいう富士山 描いて…。

そう すごくキレイな絵が
描いてある

千代の湯という お風呂屋さん…
本当の名前で。

この歌を
歌わせていただいたんですけど。

♬~「富士山だ」

そうなんですよ 加藤さんが
私のライブに来てくださって。

それで ピンク・レディーの楽曲も
1~2曲歌ったんですけれど

それを聴いて 加藤さんが

「ケイちゃん あなたね やっぱり
歌って踊るべきよ」って言って。

「あなた
ソロでも歌って踊りなさい」

「いい曲があるの」って言って。
「私も歌ってたんだけど

静岡出身のケイちゃんが
歌うべきだわ」って言って

「この曲あげるわ」って。
この『富士山』?

「その代わり ちゃんと踊ってよ」
って言って。

そういう指令を受けたので
踊らなきゃと思って。

で 土居先生…
振り付けをね してくださってた

土居先生のアシスタントだった
みっちゃんっていう方に

振り付けを付けていただいて。

ちょっと 阿久先生の
なんか エッセンスも…。

あっ そうなの?
はい 加えていただいて。

今… あなたのコンサートで
歌ってるの?

はい 歌って踊ってます。
すごく評判いいです

ファンの方には。
みんな 好きでしょう。

『富士山だ』っていうのね。
楽しいんですよね 本当に。

でも 自分には負けたくないって
思ってらっしゃるんですって?

そう。 やっぱり その…

自分自身には とても厳しく

ずっと 昔から いたいと思ってる
性格は変わらずで。

髪にカーラー巻くのは
中1からで…。

それも変わってないんですって?
そうなんですよ。

中学1年生から
網カーラー巻いて…。

もうデビューした当時から
もちろん 自分で巻いて。

車の中で
移動の時に巻いたりして。

もう いまだに
ずっと自分で巻いてます。

それから あの… パック? 顔の。
はい。

パックも 毎日?
そうですね。

炭酸パックは
えっと… もう10年以上。

なんです? 炭酸パックって。

えっと ジェルの中に
炭酸の粉末を…。

また それを 封開けて。

それをジェルの中に入れて
こう ちょっと かき混ぜて

それを顔中に塗って

ラップで覆って。
すごい…!

1時間ぐらい それで
朝 家事をして。

それから それを取ってから
お風呂に入るんですけれど

お風呂の時間が また大変で。

舌べらの運動とか

あと 顔の筋肉の運動をして

それから お風呂から出たら
今度はストレッチをして。

えっ そこで まだするの?
ええ するんです。

なので あの… 毎朝 毎晩

お風呂は とても
安らぎの場所ではないんですね。

ああ また もう やらないと
っていう風に思って

お風呂入るんですけれど。
でも もう自分で

日課として決めた事は
絶対やめたくないので。

すごい。
頑張って…。

舌でマッサージっていうのは
どういうの?

舌の運動? 舌の この付け根が
すごく大事らしいんですね。

歌う事もそうですし
脳にも すごくいいし。

もちろん 顔の筋肉にもいいので

舌を ここに…。

上あごに… 上唇の所に入れて

こう 回すんですね。
それを10往復やるんですけど。

えっと… 結構 最初きついんです。

私 そこまで舌が届かないわ
なんだか…。

すごい。
1回 2回っていう風に…。

あっ すごい。

相当 回ってる。
これを10往復やって。

あとは 舌を突き出したり
また引っ込めたりとか。

なるほどね うん。
こういう運動を…。

でも 顔の表情がね
そうするとキレイですものね。

はい。
なるほど。

いろいろやってます。

トレーナーに付いてもらって

その時 食べる量が少ないって
言われたんですって?

そうですね。
2004年… 2005年の時に

2年間 ピンク・レディーとして
ミイと

コンサートを
100カ所200回公演っていう…。

すごいね!
本当に きつかったんです。

100カ所200回って…。
1日2回ですからね。

しかも
2時間半ぐらいのコンサートを

インターバル1時間しかなくて。

トレーナーに付いていただいて

マッサージしてもらったら
もう すぐメイク直して

また本番っていう
感じだったんですね。

最初は もう体力消耗しちゃって

お部屋に戻っても
ルームサービスの おうどんが

本当 2本しか
食べられなかったんです。

そうなの?
疲れてしまって。

でも 「それじゃ
ケイさん 持ちません」

「とにかく 動いたあとは
お肉を食べてください」。

まあ 1週間ぐらい ちょっと
無理だったんですけれども

もう 8日目ぐらいから
お肉が食べれるようになって。

それで 食生活を
考え直さなきゃと思って。

それからは もう…
もちろん 結婚してから

ずっと 自分で
お料理はしてるんですけれども

でも その食べ物のバランス
お肉とお魚

それから お野菜を
ちゃんととるっていう…。

そう やってらっしゃるの。
食べ物をちゃんと バランス良く。

偉いと思います。
あら これはお肉ですかね?

はい
これはローストビーフですね。

それと お野菜と。
クレソンですね。

クレソン?
はい。

これは ローストビーフ握りで…。

この握ったのは
主人なんですけれど。

それ お寿司になってるの?
そうです。

あら おいしそう ちょっと。
はい すごくおいしいですね。

わさびで食べるんですけど。
わさびで? うん。

それが とてもおいしいし。
これは何?

これは お昼に作ったものだと
思うんですけど オムライス。

えっと 中はチキンライス…。

本当は
チキンライスなんですけれども

この時は ビーフにして

ちょっと お肉を
しっかり食べようかなと。

ビーフご飯。
たんぱく質が大事だから 卵。

あっ これは 毎年作ってる
おせち料理なんですけれど。

おせちなの?
はい。

全部… ニンジンも

ゴボウも何も
全部 別々のお鍋で 煮物にして。

おせち料理といっても…

これ 一緒に煮ちゃえば
1つの品物になってしまうので。

別々に その素材の味を生かして
おだしも いろいろ変えて

それで ちょっと…
こんな風に煮たりして。

あっ これは 手作りプリンですね。

すごいわね あなた。
随分 おやりになるのね。

デザートも
自分で作ってるんですけど。

プリン?
はい プリンを作ってます。

ご主人は あなたの作るもの
いいって言ってる?

はい もう すごくおいしいって…。

なんだか あなたが
結婚してらっしゃると

思わなかった…。
はい よく言われます。

そうね そんな感じですもんね。
だから 結婚前は

冷蔵庫の中に
化粧品とフルーツしか

入ってなかったんですね。

結婚してから お野菜とか
食べるものを入れるようになって。

じゃあ ご結婚なすってから
なんか変わった事あります?

そういう事では。
そうですね 私は44まで…。

18で東京に出てきて 44まで

時間が
自分のためだけにある生活ですし。

どちらかというと
仕事重視でしたし。

あの… 1人ですから

我が強くなっていたかも
しれないんですけれど。

主人と結婚して

結婚生活 大丈夫かな?
って思ってたんですが…。

何も期待しない主人だったので

すごい楽に 新婚生活が送れて。

だけど やはり 主人も

我の強い人なので。

なので

最初は
ぶつかる事も多かったんですね。

でも そのうち

おうちに来てくださってる
お手伝いさんが

ちょっと
キリスト教の そういう教えを…。

信者?
はい 信者で。

たまに ちょっと 愚痴を言うと
「奥様ね」って言って

いろんなお話を
してくださっていて。

それで
夫婦として幸せに暮らすための

何か こう えーっと
文章があるんですけれど

「もし よかったら」って言って
それを書いてもらったんですね。

それを…
私は自分のためにと思って

トイレに… 大事に額に入れて
置いて

トイレに入るたびに
なるほどなと思って

見ていたんですね。
そしたら ある時

その いつも置いてある位置が
変わってたので

あれ? 主人が読んでるのかな?
と思って。 やった! と思って。

それから 主人も すごく変わって。

その中身というのが

「夫婦というのは どっちが
勝った負けたではない」と。

やはり「譲り合い 認め合う」。

「そして 幸せを築いていくものだ」
っていう事が書いてあったので。

お互いに やっぱり 「やだ
私の言った事が正しいわ」とか

「俺がさっき言ったんだよ」とか
なるじゃないですか。

それが 本当になくなりましたし

その 相手を認める気持ちとか
相手を許す気持ちっていうのが

お互いに芽生えてきてからは
もめ事はなく。

よかったですね。
はい。 だから 主人も…。

それで どっちにしても
ちっちゃい事なのよね

もめてる事が。
生活って そうですよね。

くだらない事で 言い合ったり
ケンカしたりするんですけれど。

そうなの。
それじゃ よかったですね…。

そうですね。 だから 例えば 私が
こうしてほしいなと思う事も

主人の背中 見ながら 今 言っても
聞いてもらえないなとか。

空気で わかるようになったので。
そうね。

ご主人は年上?
えっと… そうですね。

学年で 4年 上です。
そうなの。

お仕事は どんな事を?
ミキサーをやっています。

音の調整?
そうです。 映像の…。

例えば コマーシャルとか
ドキュメンタリーとか。

じゃあ 違うお仕事じゃないのね。
映像の方のミキサーです。

あっ そうですか。
はい。

じゃあ なんかの時に
一緒にやる事も…。

…は ないですね。
ない?

ないです。 お互いに やっぱり
主人も すごく耳がいいので。

そういう人に いろいろ
歌の事を言われるのも傷つくので。

家の中では
仕事の話をしないように。

4年前ですけど…
悲しいお話だと思うけど

産んでくださった お母様
亡くなったんですって?

はい そうですね。 はい。

あの… でも 老衰でした。
何歳?

えっと 九十… 多分 93かな?

93か 94ぐらいだったと思います。
あっ そうなの。

でも お父様が
早くに亡くなったんで?

そうなんですね 私が3歳の時に
交通事故で亡くなっているので。

お父様?
そうなんです。

父の方が7つ年下だったんですね
はい。

私は 一番 末っ子だったので

兄が その時に9歳
姉が6歳 私が3歳で。

母が
働かなければいけなかったので。

私は
母の姉夫婦の所に預けられて。

そこで… まあ それでも

土日 お迎えに来てくれて
っていう感じだったんですけれど。

小学校 上がる時に
「家に戻ろうか」って

母も 「じゃあ 家に…」って
言ってたんですけれど。

それを決める前の日に
伯父さんと伯母さんが

「惠子がいなくなっちゃうのは
寂しいね」っていうのを聞いて…。

何年かね 育ててもらったので
悪いなと思いながら

母も 「今 帰っておいで」とは
言っていても

私が帰って 今までどおり
働けるかなとか いろいろ考えて。

まあ… お嫁さんに行ったら
名字も変わるし。

じゃあ 変えちゃおうかな?
なんて思って。

伯母さんち子になるって
自分で決めて。

育ての母の?
そうです。

近いんですね おうちからは。
おうちも近いの?

えっと…
電車で20分か それぐらいの所。

でも まあ 一応
伯母様の所の子どもになったの?

はい そうなんです。

あの… 「私が歌手になりたい」って
言っていた時に

当然 伯母さんは

「そんな東京なんて…
芸能界なんて怖いところで」

って言って
反対してたんですけれど

母は「ケイちゃんに
寂しい思いをさせたから…」。

それは 産みの母?
そうです 母が。

なので 「将来の事は
惠子がしたいように応援したい」

って言って…
母が応援してくれて。

浜松のヤマハに通う時にも
交通費を出してくれたり…。

あと お衣装も
作らなきゃいけなかったので

衣装代 出してくれたりとかして
すごく応援してくれて。

それで デビューした
っていう形なんですけれど。

なので ちょっと…

応援したい方と反対したい方で

そこで 意見が
その頃 ちょっと割れていたので

少し姉妹の仲が 今までよりは

ちょっと悪くなった感じでは
あったんですけれど。

なので 両方に こう…
まあ 間に挟まれて

気を使ったりする時期も
あったので はい。

でも その伯母は…

2001年に亡くなって。
あっ そうなの。

はい。 そのあと 母が
4年前に亡くなったんですけど。

それで あの…

ある時に 母が うーん…。

えーっと
亡くなる1年ぐらい前ですかね。

それは 産みの母が?
そうです 母が。

老人ホームに入っていたんですね
その時。

まあ… くだらない事で 主人と
ちょっと言い合いになって

「私 もう 家に帰る」と思って。

で 母の所に行ったんですね。

老人ホームに。
はい。 そしたら 母が

ずっと 自分の事ばっかり
しゃべってるので

ああ もう 母も

私の話を聞いてくれない年に
なったんだなと思って。

で 「じゃあ お母さん
そろそろ帰るわ」って言って

「惠子 玄関まで送ってく」
って言って

ついてきてたんですけど。

靴を履いてたら
母が 「ケイちゃん」って。

「ともさんみたいな
いい人はいないから

一生懸命 尽くして
可愛がってもらいなね」って

私の背中に言われた時には…
何も言ってないのに。

さっきまで ずっと2時間ぐらい
自分の話ばかりしてた母が

そんな事 ポロッと言ったので
玄関で泣き崩れてしまって。

そうですよね。
お母さん わかってくれてたんだ。

そうですね 本当。

そういう母…。 そのひと言が
ずっと忘れられない。

あっ そう…。
やっぱり お母様ですね。

そうですね 本当そうですね。

すごく似てるんです。

年を重ねれば重ねるほど
似るんですけど。

下にいらっしゃる方 お母様?
はい。

これ 結婚式の時の写真なんです。
すごい可愛い。

母です。
あっ そうなの。

キレイなお母様ね。
ありがとうございます はい。

あっ そう…。

なんか その… 主人の事もね

最初は嫌いなのかなと思ったら
実は そうではなくて

初めて会った時に 亡くなった父に
すごく似てると思ったらしくて。

それで 電話をするたびに…
母がね うちに電話する…。

「あっ ケイちゃんでよかった
ケイちゃんでよかった」

って言うから
「なんで?」って聞いたら

「ともさんが出るから」って。

「えっ? ともの事
そんなイヤなの?」って言ったら

「いや そうじゃない」って。

「お父ちゃんそっくりでね

お母ちゃん すごい緊張しちゃって
しゃべれなくなる」って。

あらー… そんな事あるの。
そうなんです。

だから 初めて会った時

兄も姉も みんな家族
「お父さんそっくり」って。

あっ そうなの。
はい。

随分 あなた
いい方 探しましたね。

ハハハ…! そうですね 本当に

今では 父であり 母であり
きょうだいであり 本当に

家族全部が一緒になっちゃった
旦那様っていう感じ。

いいですよね。
はい。

でも お母様 89歳まで 1人で
お暮らしだったんですって?

そうなんです。 やはり 母は…

兄も21で結婚して 出ましたし

姉も23で おうちを出たので

それ以降 ずっと
自分一人の生活が長いので

まあ ある種
わがままなところもあって

「1人で暮らしたい」って
言ってたんですけれど

89の時に ひじを骨折しました。

そして 90の時に
今度 大腿骨を骨折しました。

そしたら やっぱり

入院するじゃないですか
1週間ぐらい。

でも 母は
「こんな所にいたら殺される」って

「家に帰る」って
言ってたんですけれど

リハビリを
しなければいけないので

できたばかりの老人ホームを
お友達が紹介してくれて。

そこに ちょっと お試しで入って

そこに リハビリの先生に
毎日 来てもらった方が

ちゃんと練習できるし

歩けるようになるから
っていう事で

そこに入って そのまま ずっと
最後まで そこにいたんです。

でも 母は ずっと

「家に帰りたい 帰りたい」って
言ってたんですけど やっぱり

心配なので… 子どもたちはね。
お一人じゃね うん…。

なので ちょっと それは
母の思うとおりにならなくて

可哀想だったなとは
思うんですけれど。

でも…。
その老人ホームにいると…

お入りになったりしたら
いろんな事のお金は

全部 お母様 ご自分のお金で
やってらしたんですって?

そうなんです。 あの…
金額 言ってもいいんですかね?

すごく いっぱい貯金を…。

一生懸命 節約して
貯金を残していたので

それで 「もし 足りなくなったら
私が出すから」って

言ってたんですね。

そしたら
それから半年後ぐらいに

眠るように亡くなったんです。
あっ そうなの。

はい。
じゃあ 本当に 子孝行の…。

そうですね。
本当に すごく強い母でした。

あっ そう。
はい。 チャーミングで可愛くて。

12月6日 コンサート?
そうです。

ピンク・レディー お一人で?
そうですね。

増田惠子 ソロコンサート
大手町ホールで

12月6日あるんですけれど。

前半は 私のソロの曲
『すずめ』だったり

いろんな曲を歌い
シャンソンも何曲かあって。

後半は やはり皆さん もう8年も
コンサートやってないので

歌って踊りたい
っていうのがあって。

なので ピンク・レディーの楽曲を

昔のままのアレンジで…。
あっ そう!

はい。 歌って踊るんですけど

皆さん すごく
私よりも 華やかな衣装を着て

一緒に歌って踊ってくださるので。

何よりも
皆さんに楽しんでいただきたい

喜んでもらいたいと思いまして…
はい 今回も。

お客さんも
喜んでくださるでしょ?

そうなんです。
なので 今回も歌って踊ります。

でも あれですよね

周りの方々が
随分 亡くなっちゃったね。

そうですね。 まず 私たちを…

『スター誕生!』で
プラカード上げてくれた

プロデューサーであり
マネジャーの相馬さんが亡くなり

そのあと 3~4年後に

阿久先生と土居先生が
亡くなってしまって

かなりショックだったんですね。

なんか こう 自分のルーツが
崩れていく感じで。

本当に このまま ここにいて
いいんだろうか? っていう…。

かなり
ショックだったんですけれど…。

でも まだね
ピンク・レディーを作ってくれた

都倉先生とか飯田さんとか
たくさんいらっしゃるので

そういうスタッフの皆さんにも
喜んでいただける…。

残りの人生を頑張って歌って…。
子どもたちにもさ

ピンク・レディーのファンって
すごくいたじゃない? あの頃。

そうですね はい。

今でも 当時を知らない
若い人たちや 子どもたちが

コンサートで… 8年前も
たくさん来てくださったので。

そうなの。 へえー!
なので 多分 時代を関係なく…。

そうなのね。 じゃあ これからもね
ファンや子どものためにも

歌い続けていただきたいと
思います。

私たちは見てましたからね
すごさをね。

はい。
でも お元気で何より。

どうも ありがとうございました。
ありがとうございました。

(拍手)


関連記事