アナザーストーリーズ「天才激突! 黒澤明VS勝新太郎」突然の主役降板劇の真相とは?未公開映像によって明かされ…



出典:『アナザーストーリーズ「天才激突! 黒澤明VS勝新太郎」』の番組情報(EPGから引用)


アナザーストーリーズ「天才激突! 黒澤明VS勝新太郎」[字]


“世界のクロサワ”と“座頭市の勝新”。映画「影武者」のロケ中に事件は起きた!突然の主役降板劇の真相とは?未公開映像によって明かされるふたりの天才、衝突の舞台裏。


詳細情報

番組内容

1979年の夏、世界中の映画ファンを震撼させる、前代未聞の主役交代劇が起きた。黒澤明監督の新作映画『影武者』のロケ中に主役の勝新太郎が突然、降板したのだ。黒澤はすでにベネチア映画祭でグランプリも獲得した世界的巨匠。一方の勝は『座頭市』をヒットさせ、脚本・監督もこなす大スター。40年前のあの日、ふたりの天才の間で何があったのか?未公開映像や当時を知る関係者の証言をもとに、天才激突の真相に迫る!

出演者

【司会】松嶋菜々子,【語り】濱田岳



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  12. 自分
  13. 信玄
  14. プロデューサー
  15. 谷崎
  16. イメージ
  17. 一緒
  18. 絵コンテ
  19. 主役
  20. 白井


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よ~い… はい!

天皇と呼ばれた映画監督がいた。

自らのイメージを
フィルムに焼き付けるためには

妥協を許さない…

その作品群は
世界でも高く評価された。

スピルバーグやルーカス コッポラも

多大な影響を受け 黒澤を師と仰いだ。

一方…。

こいつも一緒に
持ってっておくんなさいな。

唯一無二の役者がいた。

当たり役は 盲目の旅人…

仕込み杖で 斬って斬って斬りまくる
斬新 かつ ダイナミックな殺陣で

その名を不動のものにした。

演技だけでなく
型破りな生き方そのものを愛された

銀幕の大スター。

日本映画界が誇る二人の至宝が

ついに タッグを組む機会が訪れた。

映画のタイトルは 「影武者」。

勝が 武田信玄と
その影武者の二役を演じ

巨匠 黒澤がおよそ4年ぶりに撮る
話題の超大作だった。

(勝)そんな人がいないんだよ 今。

何て こたえればいい。

撮影前 二人の関係は良好そのものだった。

しかし 突如 勝が主役を降板。

黒澤は記者会見を開く。

勝も 同じ日に会見を開いた。

この主役降板劇は大きな衝撃を与えた。

共演者にも青天の霹靂だった。

世界のクロサワと 天下のカツシン。

二人の衝突の裏には 何があったのか?

♬~

運命の分岐点は…。

1979年7月18日。

主役の 勝 新太郎が

黒澤 明監督と衝突し
映画「影武者」の現場から去った日です。

これは その2か月前。

製作発表を兼ねた
宣伝映像が撮影された時の模様です。

カメラの横に陣取るのは
帽子にサングラス いつもの姿の黒澤監督。

その正面には よろいかぶとに身を固めた
勝 新太郎がデンと構えています。

大きな期待を集めた「影武者」とは
どんな映画なのか?

黒澤監督自身が描いた
絵コンテで見ていきましょう。

主人公は 戦国武将 武田信玄と
顔がそっくりの盗人。

ひょんなことから影武者に仕立てられ

ついには
武田家の滅亡と運命を共にする物語です。

信玄と影武者の二役を
勝 新太郎が演じる予定でした。

でも それは
とうとう実現しませんでした。

黒澤 明と 勝 新太郎 この二人の天才は
なぜ相いれなかったのでしょうか?

第1の視点は 黒澤 明の
アシスタント・プロデューサーだった

野上照代。

事件の一部始終を見ていた
唯一の人物です。

混乱の渦中で目撃したのは

ワンマンとも言われた巨匠 黒澤 明の
決して自説を曲げない姿でした。

黒澤の黒澤たるゆえんに迫る
アナザーストーリー。

(取材者)懐かしいですか?
久しぶりに見られて。

こんなこと やってたのかなって…。

スクリプターとして また
アシスタント・プロデューサーとして

40年以上 黒澤 明と行動を共にしてきた。

黒澤自身が 自伝で
「私の片腕」と評している。

「影武者」で起きた事件の現場にもいた。

野上は全てを目の当たりにした。

日本が誇る映画監督 黒澤 明。

その出世作は 「羅生門」。

海外の映画祭で 日本人として初めて
グランプリを受賞し

敗戦に打ちひしがれた日本人に
大きな勇気を与えた。

この「羅生門」で
野上は初めて黒澤の映画に参加した。

まだ 23歳。

京都の撮影所で

記録係の仕事を
始めたばかりだった。

黒澤は その後 「七人の侍」

「隠し砦の三悪人」「用心棒」など

日本映画史に残る名作を
生み出していく。

が しかし 黒澤には
「影武者」に至るまでに

数々の挫折があったことを
ご存じだろうか?

ハリウッド進出を目指した 「暴走機関車」
「トラ・トラ・トラ!」の2作で

アメリカ側と衝突し
監督を降りる結果となった。

再起をかけて作った「どですかでん」は
興行成績が惨敗に終わる。

自殺未遂で一命は取り留めた黒澤。

後に 外国人記者から
死のうとした理由を問われた。

向こうの記者は もう遠慮なく

「どうして自殺したんですか?」
みたいな人も多いのよ わりと。

あの時は…

…という返事をしてましたね。

そんな黒澤に手を差し伸べたのは
旧ソビエトだった。

黒澤は 現地へ乗り込み
「デルス・ウザーラ」の撮影に取りかかる。

日本人スタッフは 野上を含めた僅か5人。

言葉も通じない現地スタッフたちとの
過酷な撮影。

滞在期間は1年半にも及んだ。

結果 この作品は…

世界のクロサワは復活を遂げた。

…かに見えたが。

大体 ロシアで…

帰国後 仕事がなかった黒澤の
唯一の収入源は

ウイスキーのCM出演のみ。

黒澤は 「乱」など
心血を注いだ脚本を2本 完成させたが

予算がかかりすぎるという理由で
見送られた。

「その二本とも… 闇に葬られた。

その間 私の貴重な晩年の年月
三年間は…」。

何にもやってない時ぐらい
苦しい時はないわけよ。

それで考えたんだそうですけど。

黒澤が目をつけたのは

若山富三郎と 勝 新太郎の兄弟。

よく似た顔だちをしていることから
「影武者」を発想した。

信玄役に若山
影武者役に勝というアイデアだ。

すると この話に
東宝が乗った。

だが 兄の若山は

体調を理由に
辞退したため

勝が 信玄と
影武者の

二役をこなす
ことになった。

更に追い風が…。

黒澤を師と仰ぐコッポラとルーカスが
製作資金を調達。

東宝の資金と合わせ

当時 日本映画史上最高の製作費で
「影武者」はスタートした。

映画に取りかかる前 黒澤は
なんと200枚以上の絵コンテを描いた。

主人公は もちろん
勝 新太郎をイメージしていた。

京都で「座頭市」を撮影中の勝に
度々 会いにも行った。

(笑い声)

これは
「影武者」の製作過程を記録した特集番組。

しかし 勝を収めた映像の多くは

主役を降板したために
未公開のまま残されていた。

残念なことに 音がついていない。

衣装合わせ。

これも未公開映像だ。

野上に見てもらった。

(取材者)衣装合わせの模様… 信玄の。

(取材者)
まだ そこまで険悪なムードでは?

これは メイクテスト。

勝が演じる信玄と その弟役の山崎 努が

兄弟らしく似るように試行錯誤している。

絵コンテ 衣装
メイク ロケハン 時代考証と

精力的に 納得いくまで
準備を進める黒澤。

野上が驚く
意外な仕事まで こなした。

出演者を プロ アマ問わず

オーディションで選ぶことを決意。

大胆な新聞広告を自ら作った。

…って 一生懸命 言ってた。

よ~い… はい!

オーディションの応募は

1万5, 000人にも及び

書類選考を経た1, 200人全員と
黒澤は面接した。

この時 演技経験ゼロで

徳川家康役に抜てきされたのが この男だ。

いや~ もう ほんとに…。

(野上)会いたかったぞ。 私 もうね…。

もう もうすぐ死ぬよ。
何をおっしゃいますか。

いや ほんと。
へえ~。

その時は じゃあ ご一緒に。
そうそう。 何言ってんだよ。

「影武者」の撮影は
勝の体が空くのを待つ間

油井 扮する
家康のシーンなどから始まった。

…って 一発オッケーだよ。

「オケ~ コケッコッコ~!」みたいな。 喉。

黒澤にとって
実に4年の思いがこもるオッケーだった。

油井は これ以来

黒澤の家にも出入りするほど
親密な関係となる。

更に 持ち前の人懐っこさから
勝にも かわいがられた。

失礼な意味じゃなくてね
まさしく そうだよね。

ほんとに…

まあ それと比べたら…

そんな勝を あえて黒澤は選んだ。

だが この笑顔の裏で
主役 勝とのすれ違いが生じ始めていた。

黒澤は 信玄と影武者の
メイクの参考のため

勝に顔写真を送ってくれるよう頼んだ。

すると 膨大な量の写真が届き

そのうちの数枚には
「これを使ってほしい」という意味の

丸印がつけられていた。

スチールをこんなに送ってきて…

1979年7月17日
いよいよ勝が現場に入った。

この日はリハーサルだが 黒澤の場合

本番のセットで
本番どおりの衣装をつけて行う。

(野上)ここかな。

「出かすも出かさぬも
他に仕様はなかつた」。

このセリフだよね。

あんな短いセリフだもん。

勝の振る舞いについて
助監督だった大河原孝夫は

こう振り返る。

…と言いたくなりますよね。

なりますよね それはね。

この翌日 決定的な事件が起きる。

事態は いよいよ急を告げます。

「影武者」の主役 勝 新太郎にも

黒澤に引けを取らぬ
映画への愛情がありました。

勝の側に立つと この事件には

また違う物語が見えてきます。

第2の視点は
勝 新太郎のまな弟子だった俳優

谷崎弘一。

常に勝のそばにいて
巨匠 黒澤 明に挑む熱い思いを

間近に見ていました。

桁外れの大スター 勝 新太郎。

その秘めた情熱を明かす
アナザーストーリー。

ここからは 事件までの流れを
勝 新太郎の側から見ていこう。

事件2か月前の この現場に
信玄に扮した勝と

その弟子 谷崎弘一の姿がある。

(谷崎)いますね。

すけべ心 ほんとに… 何かあったら…

よろいかぶとに身を固めた
堂々たる貫禄の勝。

余裕しゃくしゃくで演出する黒澤。

その二人を見た時 谷崎は…。

これで また…

だが この時 既に歯車は狂い始めていた。

♬~

勝 新太郎は 長唄三味線方の家に生まれ

23歳で映画俳優に転じた。

そして 31歳の時
大ヒットシリーズを生み出す。

てめえのようなやつは

お天道様の下
大手を振って

歩かせるわけには
いかねえんでぃ。

ご存じ 「座頭市」だ。

目が見えないという
ハンデを背負った主人公を

勝は見事に演じた。

36歳で 勝プロダクションを立ち上げ
社長に就任。

テレビシリーズとなった「座頭市」では
主演の他

度々 脚本 監督もこなした。

本番。

(勝)スタート。

「座頭市」は 5年間で100本を量産。

勝は 次に進むべき道を模索していた。

世界のクロサワからオファーがきたのは
そんな時だった。

最初に…

それをやる頃になると もう…

で やっぱり そこで
その当時は多分 絵コンテ

絵コンテが出来上がってましたから…

勝の入れ込みは
とどまるところを知らなかった。

「座頭市」の現場でも…。

あの スタッフたちには
喜ばせたいと思って話すんでしょうね。

そうすると 今の…

勝の衣装合わせは
「座頭市」の隙間をぬって行われた。

この時ね… そう…

「らしさ」の視点が違う。

(谷崎)こう 今 こういう
きちっとして こうなってますけども

だんだんと やっぱり 自分でね
崩してきますよね。

もっと違うなと。

もうちょっと だらしねえんじゃねえか?

こんな アイロンがかかってるような
袴なんか はいてないよって。

(谷崎)で 進めていくうちに
だんだん だんだん…

勝の 前のめりぶりを間近に見た人が
もう一人いる。

京都で テレビ版
「座頭市」の脚本を担当していた…

中村は 「影武者」決定後の壮行会で
こんな言葉をかけたという。

僕 そのころ
何の意識もなかったんだけども…

バーッと行ったですよ。

中村が黒澤と勝のけんかを心配するには
理由があった。

一つは 勝の性格だ。

勝さんの性格の一端としてね…

まだ少年… もっと小さかった
幼稚園ぐらいの頃に

若山さんは黙ってる人で…

そういうのは だから
幼い時からあったんですって。

定石を壊す。

その性格は 勝の ものづくりに反映する。

例えば 中村が書いた脚本も…。

あの時に呼ばれて スタッフルームにね
呼ばれて…

僕 ニヤニヤするしか
方法がなかったんでね。

脚本はあっても無視。

現場の感覚に任せて即興的に演出する。

そんな乱暴なやり方で生まれた
傑作もあった。

天… 天っていうの。

お天道様の天か?

病で死が近い少女と

市の淡い恋を描いた叙情的な作品。

脚本は一応 中村となっているが…。

なしですよ。

勝は現場のインスピレーションで
物語を紡ぎだした。

≪ひと月しか命がもたないんだって?

この作品には 勝の弟子 谷崎も出ている。

ドラマが完成すると…。

もちろん 自分が書いたとか
書いてないとかいう意識は

僕もう ないですやん。

すごいなと思いましたよ。

自由奔放な壊し屋の勝と

何一つ ゆるがせにしない黒澤。

二人の個性は正反対だった。

それでも勝は
黒澤のイメージを実現するために

信玄と影武者になりきろうとした。

しかし 撮影直前のリハーサルで

このセリフを脚本どおりに言わなかった。

そして リハーサルの翌朝
決定的な事件が起きた。

勝が自分の演技を確認するために

ビデオカメラを持ち込みたいと
言いだしたのだ。

この日 谷崎は別な用事があり
勝についていたのは兄弟子だった。

朝7時。

野上照代は 勝がいるメイク室に向かった。

そこで メイク担当から不穏な話を聞く。

勝が その怒りのままに飛び込んだ
メイク室に

出演者の根津甚八が居合わせた。

油井昌由樹は 根津から

その場の様子を
つぶさに聞いた。

…って言ってたよ。

あれ? って思って これは…

勝は 自分の車の中に立て籠もった。

野上が そのことを黒澤に知らせると…。

その間に
プロデューサーの田中友幸が

勝のもとへ駆けつけた。

もう一度 現場に戻るよう説得を試みたが
車のドアさえ開けてもらえなかった。

そこへ 黒澤がやって来る。

行ったら もう…

…と言ったんです。

なんか 「辞めてもらうしかないな」と…

助監督の大河原孝夫らは

事件の直後
スタッフルームに集められた。

明快に おっしゃったので…

まあ僕ら スタッフルームにいる
全員に向かって…

…なんでしょうけども

あの野上さんが まあまあ真剣な表情で
そういうことを言いましたのでね。

ただ その…

事件から2日後 黒澤は
記者会見を開いて 勝の降板を伝えた。

こうして 黒澤と勝 二人の天才は
あっけなく袂を分かった。

自分のイメージを実現するためには
一切の妥協をしない。

その点で 二人の天才は同じでした。

でも それ以外では
相反することが多かった二人。

個性の違い。

映画づくりの違い。

理想とする演技の違い。

うまく二人の違いを生かせば すばらしい
化学反応が起きたかもしれません。

黒澤 勝のどちらとも
腹を割って話せる関係を築いていました。

両雄が並び立つには
何が必要だったのでしょうか?

二人を取材し続けた者が明かす
天才激突のアナザーストーリー。

伝統ある映画雑誌
「キネマ旬報」の編集長も務め

日本映画界を半世紀以上にわたり
見つめてきた。

黒澤の厳しい現場への
立ち入りを許された一人だ。

とにかくね 現場全体がね
黒澤さんを中心に

針を打ったように
静かになっちゃうわけね。

それぞれが動いてくれなきゃダメだ。

そして白井は 勝 新太郎とも
取材を通じて友人になった。

初めてインタビューした時のこと。

彼が俺の顔見てニヤッと笑ってね…

それで すっかり和んじゃってね
ああ この人は…

俺が友人と世間話してるみたいなね
そういう つきあいしてくれる人なのか。

面白いなって感じになってね。

二人をよく知る白井は
この破局をどう見たのか。

しかし そのほう とっさに
よく取り繕ったな。 でかしたぞ。

「影武者」は 勝 新太郎 降板のあと

仲代達矢が代役を務め 完成した。

映画は…

興行成績27億円の大成功を収めた。

しかし白井は それを手放しでは喜ばない。

だから これは 何ていうのかな…

…って気が ちょっと するんだよね。

この悲劇を避けるすべは
なかったのだろうか。

そのプロデューサーがいたらね
黒澤さんに…

「それになるべく 彼のやり方に
沿ってあげましょうよ」っていうね。

勝 新太郎には…

「もっと ちゃんとやんなきゃ」
っていうふうにね

アレンジできるプロデューサーが
不幸にして いなかったわけでしょうね。

二人をつなぐことができた人物は
一人しかいないと 白井は言う。

その名は 本木荘二郎。

黒澤さんに…
作品のアイデアを一緒に考えたりね

俳優さん 誰使おうかを
一緒に考えたりするような

プロデューサーだったんですよ。

本木は3歳年上の黒澤と
東宝に所属していたが

自由な映画製作を求め
共に東宝を飛び出したこともあった。

…っていうようなことを
やっちゃった人なんですよね。

しかし 本木は後に横領事件を起こし
黒澤のもとを去った。

黒澤さんは 随分抵抗すんのよ。

…って言うんだけど

使い込みがあったとか何とかって
いろんなことが出てきて ついに…

…って黒澤さんは僕に言ったけども
そういう状態になっちゃうんだね。

本木荘二郎さえ いれば…。

白井のこの意見を野上にぶつけてみた。

極端に私が思うことを言うと…

やっぱりダメだから… だったんでしょ。
自分の思うようにいかないから。

じゃあ
どうするかって…

あそこで それこそ…。

あれをやっていたら…

もっと勝さんに会いたいんじゃない?
今の人たちがね。

その後の勝の人生は…。

そして 1997年。

波乱に満ちた65年の生涯を閉じた。

勝は 「影武者」の事件については

多くを語っていない。

勝の弟子だった谷崎弘一。

それぐらいでしたね うん。

それは 勝さんは やっぱり…

ただ 黒澤さんが勝さんの振る舞い方は
嫌だな 嫌いだなと。

こんなのと一緒に
仕事できんわというのは

だんだん高まっていったんだろうと
思いますよ。 でも…

まあ 勝さん側から見ればね。

黒澤さんの立場で言えば

明快なイメージが
固まってらっしゃる方なので

まあ もちろん それ…

黒澤は 「影武者」の完成直前に
こう語っている。

黒澤 明が 「影武者」のあと
撮った映画は4本だった。

黒澤 明と 勝 新太郎。

人生は 出会いと別れの積み重ねです。

でも こんなに惜しまれる別れは
そう多くはありません。

もしも二人の顔合わせが
実現していたら…。

つい そんな想像に
思いをはせてしまいます。

それほどまでに
二人が映画史に残した名作の数々は

今もなお
熱い思いを語りかけてくるのです。

「影武者」の製作総指揮に名を連ねた
アメリカの巨匠 コッポラ。

実は以前から勝とも親交があり
「座頭市」の現場を訪ねたこともあった。

そのコッポラが 降板後の勝を
カリフォルニアの自宅に招待していた。

同行した 勝の…

だから 「気晴らしに
こっち来たらどう?」つって

それで招待されて行ったわけだよ。

その時の忘れられないエピソードが
あるという。

…って言うから 「はい」って言って。
当時ヴィトンがまださ 入りかけ…

ヴィトンのさ…

「俺 なんか変なこと言ったかな?」
と思ったら

急に「バカヤロー!」って雷だよ。

「お前な いいかい? ウソでもいいから
コッポラのこと考えて

これ買ったのか?」って言われたんだよね。

「俺が行ってくる」つって…

普通はするか?
自分が「影武者」で嫌な思いして その…

そんなもん持っていくかってんだよ。
それ持ってったんだから。 「ハイ」って。

だからコッポラだって 「あ… あれ?」って
「こいつ ギャグ上手だな」ぐらいに

思ったんじゃない? ヘッヘッヘ…。
コッポラにすりゃ いい迷惑だよな。

「何だ これ?
ヤバイもの もらっちゃった」みたいな。

何とも言えない うれしさとも言えない

なんか ヘンチクリンな顔してたもんな
そういえば。

「あれ?」みたいな。
「これは これでいいのか?」って。

親父が率先して飾ってた…。
笑っちゃうよ。

俺はね 間違いなくね

親父はね ものすごい そういうとこね
おちゃめな人なんだよ。

…ぐらいの感覚だったと俺は思ってる。

うん だから 本人も もちろん
そんなことは 一つも言わないんだけど…

雰囲気としてね。

幻に終わった
黒澤 明と 勝 新太郎の「影武者」。

それは幻だからこそ
いつまでも語り継がれるに違いない。

♬~


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