偉人たちの健康診断「前田利家 筋肉男子の加賀百万石」土豪の息子から豊臣政権ナンバー2に出世を果たした秘密…



出典:『偉人たちの健康診断「前田利家 筋肉男子の加賀百万石」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「前田利家 筋肉男子の加賀百万石」[字]


加賀百万石の祖・前田利家。土豪の息子から豊臣政権ナンバー2に出世を果たした秘密を健康面から探る。鍵を握っていたのは人並みはずれた「広背筋」と巧みな謝罪術だった。


詳細情報

番組内容

加賀百万石の祖・前田利家。信長の小姓から大大名へと出世を遂げた戦国乱世の「勝ち組」だ。信長と秀吉に気に入られ、豊臣政権のナンバー2にまで上り詰めることができた秘密…。それは人並みはずれた「広背筋」と「謝罪術」にあった!?さらに、志半ばで亡くなった利家の死因を検証。死の数カ月前から体の不調を訴え「薄墨色の尿が出た」という症状が意味するものとは?浮かび上がってきたのは「胆石」の恐ろしさだった。

出演者

【出演】関根勤,カンニング竹山,秋野暢子,本郷和人,植田美津恵,【司会】渡邊あゆみ




『偉人たちの健康診断「前田利家 筋肉男子の加賀百万石」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

偉人たちの健康診断「前田利家 筋肉男子の加賀百万石」土豪の息子
  1. 利家
  2. 信長
  3. 広背筋
  4. 秀吉
  5. 家康
  6. 胆石
  7. 竹山
  8. ガン
  9. 前田家
  10. 甲冑
  11. 関根
  12. 本郷
  13. cm
  14. 謝罪
  15. 秋野
  16. 植田
  17. 身長
  18. 当時
  19. 背中
  20. 腹痛


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石川県金沢市。

全国でも屈指の人気を誇る
観光都市です。

江戸時代には「加賀百万石」と称され

華やかな文化が息づいた
城下町の風情を色濃く残す街。

日本海でとれた新鮮な魚介類や
伝統的な加賀野菜を使った郷土料理。

四季折々の風情を感じる 名勝…

そして 加賀友禅や漆器など
絢爛豪華な伝統工芸品の数々は

多くの人を魅了しています。

この華やかな文化の礎を築いたのが
本日の偉人。

加賀藩初代藩主 前田利家です。

地方豪族の4男という低い身分から

一代で加賀百万石の大大名に
上り詰めた利家。

しかも 戦国武将としては異例の
61歳という長寿を全うした

まさに戦国ドリームをかなえた男。

今回 利家が身につけていた
貴重な甲冑を手がかりに

立身出世と健康の秘けつを探ります。

背中部分に浮かび上がる 不思議な凹凸。

ここに 利家の人並み外れた
身体能力の秘密が隠されていました。

更に 謎に包まれた利家の死因を
現代医学の目で徹底分析。

利家は 死の直前
薄墨色の尿に悩まされていた!?

異常な色の尿から見えてくる

身近で恐ろしい病の正体とは?

♬~

健康のヒントは歴史にあり!

「偉人たちの健康診断」。

♬~

皆様こんばんは。
「偉人たちの健康診断」です。

ご一緒して頂くのは こちらの方々。
どうぞよろしくお願いいたします。

そして 歴史面からご解説頂くのは
本郷和人さんです。

どうぞよろしくお願いいたします。

さて皆様
今日のテーマはですね 「前田利家」。

2002年の大河ドラマ「利家とまつ」
覚えてらっしゃいます?

はい。 唐沢君でした。
(笑い)

利家の人柄みたいなのが とてもいろいろ
にじみ出ていて いい作品でしたよね。

ということは 利家に対しては
割と好印象を抱いてらっしゃる…?

私はドラマの影響で
そうかもしれないですね。

まあ でもね
名の通った人でね

なんか 槍の使い手ということでね。
あ ご存じですか。

(竹山)なんか あと いい人って…
ほんとに いい人って感じの武将で。

武将だけど すごく
みんなのことを思ってというか

そんな感じの いいイメージありますよね。
う~ん 好印象ですね!

本郷先生
実際には どんな方なんでしょうか?

なんか よく言われるのは
180cmぐらい身長があったって。

え~っ デカい?
大きいですね 当時で。

大体… 長烏帽子形の兜っていう

それで 身長がデカいところに
なが~い兜かぶってたから

ものすごく目立ったっていう
話があります。

はあ~ すごいですね。

更に そろばんが うまいっていう。

へえ~。
あら 文武両道。

算術が。

(本郷)なんか 今 残ってる
日本最古と言われるものの一つが

前田家に伝わってると。
そろばんですか?

(本郷)利家が使った そろばん。

じゃあ 指紋も残ってるってことですね。
(本郷)あ~ そうかもしれない。

DNAくっついてるってことですよね。
調べたらね。

ちょっとね魅力的な方に思いますけれども
さあ どうなんでしょうか。

そんな前田利家の健康診断
早速 始めてまいりましょう。

戦国真っただ中の 1539年。

利家は 尾張国 荒子村
現在の名古屋市で

地方豪族の4男として
生まれました。

普通なら 世に出ることすらない
立場だった利家の

人生が大きく変わるのは 13歳の時。

織田家の当主になったばかりの
信長に仕えることになったのです。

利家が晩年に自分の半生を語った話を
家臣がまとめた…

そこには
若き日の様子が書かれています。

「傾奇者」とは 戦国時代末期に

社会の常識にとらわれず
自由に生きた若者たちのこと。

屏風絵に描かれた傾奇者の姿を見ると

服装が とにかく派手です。

利家も 派手な衣装を
着ていたのでしょうか。

利家ゆかりの荒子観音寺。

近年 この寺で
利家に関する大発見がありました。

寺の記録には 利家37歳の時

自ら着ていた甲冑を寺に奉納したことが
記されていましたが

長い間 実物を見た人がなく
所在不明とされていました。

ところが 2002年

寺の蔵から 歴史家によって
偶然発見されたのです。

発見された甲冑は 損傷が激しく
元の状態が分からないほど。

そこで 甲冑師の小川さんが
復元作業に取り組みました。

小川さんは まず
全ての部品を型紙に起こし

どのように組み合わされていたのかを
分析。

ボロボロになってしまった糸など
使えないものは

同じ材料で 精巧に再現。

使える金属の部品は 全て磨き上げました。

そして およそ半年をかけて

ついに 400年以上前の姿を
よみがえらせたのです。

これが その利家の甲冑。

当時のままの部品で組み上げ

形やデザインを
精密に復元したものです。

腰を守る部分には
「蛭巻き」と呼ばれる

金のしま模様が
施されています。

胸には 紫 白 紅

3種類の糸を使った飾りが。

これは 当時はやった
色の組み合わせだといいます。

利家の甲冑は
決して派手さはないものの

黒を基調とした中に
鮮やかなサシ色が入った

シックで上品な色合い。

趣味の良さをうかがわせます。

復元した小川さんによると

甲冑から
利家の体つきが分かるといいます。

いわゆる
その人の体に合わせて作るわけですね。

ですから 戦う時でも
体に密着してますので働きやすいと。

ですから これが
まさに利家の体だよというのが

鎧から分かるわけですね。

身長はですね ここの矢筈から
へそ下1寸

胴高を見れば 大体
その人の形というのが分かります。

小川さんによれば
胴高 つまり甲冑の胴の長さを測り

それを4.5倍すれば
大体の身長が推測できるといいます。

利家の場合 胴の長さは35cm。

つまり身長は その4.5倍

およそ157cmだったと推測されます。

利家の身長は 180cmと言われていますが

実際は
当時の一般的な身長だったようです。

もしかしたら
烏帽子を含めて180cmだった…のかも?

更に この甲冑からは

利家が大出世を果たした秘密も
うかがい知ることができます。

利家の体のサイズに合わせて
作られた甲冑。

その背中には
驚きの秘密が隠されていました。

それが こちら!

利家の甲冑には 背骨の部分を挟み
山のような凹凸が2つあります。

これ 利家公の体つき
背中そのものですから。

ここが背骨ですね。
これが広背筋。

これが発達してるというのは
よく この鎧で分かりますね。

広背筋とは
骨盤から肩の近くまである

最も広い面積を持つ筋肉。

腕を曲げたり伸ばしたり
また 重いものを持つ時に使います。

背中の凹凸は
利家の広背筋が極度に発達し

ムキムキだったことを示しているのです。

利家が人並み外れた広背筋を
持っていたのには理由があります。

金沢にある 利家の銅像。

ここに 広背筋の謎を解く鍵があります。

手に持っている槍に ご注目。

とにかく 長い!

前田家の史料には 利家の槍が
いかに長かったかが記されています。

利家の居場所が 遠くからでも分かるほど
ぬきんでた長さだったというのです。

伝えられるところによれば
利家が使っていた槍は 3間半。

およそ6.3mで 通常の2倍の長さ。

自分の身長より4倍も長い槍を操り
戦場で暴れ回っていたのです。

そんな利家に付いた異名が…

実際 利家32歳の時。

信長に敵対し 天下統一を阻んでいた

一向宗門徒を率いる石山本願寺との戦い。

織田軍が総崩れとなり
全軍退却の命令が出された その時。

危機を救ったのが利家でした。

利家は最前線に立つと
槍を振り回しては 次々と敵を倒し

見事 織田軍の窮地を救ったのです。

この活躍に 信長は

「天下無双の槍」と
大絶賛したといいます。

一大勢力だった本願寺を打ち破った信長は
このあと一気に勢力を拡大!

まさに 槍で信長を天下人へと
押し上げた利家は

織田家では
押しも押されもせぬ存在となったのです。

この活躍を可能にした 利家の広背筋。

とはいえ 6m以上の槍を
振り回したからといって

こんなにもムキムキの広背筋に
なるものなのでしょうか。

そこで…。

♬~

利家の槍に勝るとも劣らない
7mの旗を操る

パフォーマンス集団の皆さんに
広背筋を見せてもらうことにしました。

それにしても 見事な旗さばき。

確かに 広背筋が鍛えられそう!

長さも7mあるんですね。

かっこよく扱うってなると

どうしても背中の広背筋を
重点的に使うんで

広背筋には もちろん自信あります。

まさに ムッキムキ!

広背筋は 長い旗を自在に操るために
必要不可欠な筋肉。

利家も 長い槍を振り回すことで

広背筋が人一倍鍛えられたと
考えられるのです。

槍を武器に 数々の戦場で
武功をあげ続けた利家。

37歳の時には 現在の福井県に

他の武将たちと共に
およそ10万石の領地を与えられ

ついに大名となります。

豪族の4男だった利家は 広背筋と槍で

後の加賀百万石につながる
破格の出世を遂げたのです。

さて皆様 現代によみがえった
利家の甲冑をお借りしてまいりました。

これは ほぼ修復復元ですから

元のものは かなり
そのまま使われておりまして

400年以上たっている部分がございます。

ひも部分と鎖の辺りは これは
新しくなっておりますけれども

その他は ほぼ 当時の使えるものは
使っておりますので大変貴重なものです。

(関根)小柄ですよね これ見るとね。
確かに。

180っていう感じではないですもんね。
(竹山)小さい。

今でいうサイズだとSとかMですよね。
そうですね。

竹山君は入らないね。
僕 ちょっと それ無理ですね。

胸囲 胸回りが91cm。 これ どうですか?

(関根)157で91は大きいと思います。

(竹山)結構パンパンじゃないですか。
厚いですか。

厚いと思います。
それで胴回りがですね 75cm。

先生 甲冑から見ると?

まだ利家は それほど出世をしている
前だと思いますので

これぐらいの ちょうど具足を着けている
というのは ぴったりですね。

これが本当に彼のだというのは
よく分かります。

背中 ほんと盛り上がってますね。
そう 気になる背中をちょっとですね。

ふだん ほとんど絶対と言っていいほど

展示されてるもので
背中まで見られませんでしょ。

今日は特別に この後ろも見てみましょう。
お願いします。

400年前の利家が着ていたのだと思うと
ちょっと…。

(竹山)しっかり2つに分かれてるな。
ありがたい感じがいたしますね。

どうでしょう?

(関根)鎧で これだけカーブをつけなきゃ
いけないってことは

相当な筋肉ですね。
そういうものですかね。

(関根)すごいですよ これ。

(秋野)ムクッと こう
グンッとなってるもんね。

(竹山)この形で作んないと
合わなかったんでしょうね

多分 作ってる時に。
体がね。   (関根)背中がね。

ここで 利家が使ったとされる「槍」を
番組で再現してみました。

(一同)え~!?
(秋野)これ持つの?

(関根)これ 実践的ですかね?

中 入られたら…。
(竹山)いやいや 使えないですよね これ。

先生 これでいいんですよね? サイズは。

「信長公記」にね
三間半って書いてあるんですよ。

ええ~。
6m30。

持ってもいいんですか? これ。
これは番組再現だから どうぞ。

別に 壊しても高くないやつですよね。
大丈夫です。

この鎧にぶつけないで頂くことが
大事でございます。

先生 こことここ持つってことでしょ?
(本郷)そうそう。

(竹山)いきますよ。
持ち上がります?

(竹山)あっ いやいや ちょっ…
いや~ いやいや 持ち上がんないな。

(秋野)あ 広背筋ないな。
(笑い)

うわっ これは先が重いから

先の重さで しなって持てないですね。
(秋野)ねえ しなっちゃってる。

ちょっと皆さんで
こう 真ん中で支えて頂くと…。

せ~の。

これは…。
これでも結構なね。

(関根)僕が これ 勝手に推測するには…。

馬に乗ってる時は
こうやってたかもしれない。

立ててた?
そう。 だけど 実際戦う時は

こんな長いんじゃないと思う。
(竹山)見せかけ?

(関根)そう。 だって こんなん
中入られたら終わりだもん。

ここから こう斬られたらね。
あ~ なるほど。

(竹山)ただ関根さん 戦場で
この槍 もし こう持つことができれば

この槍抱えて「わ~!」ってやつが来たら
おっかなくないですか?

「やっベえの来たぞ!」みたいになるから。
それにブルンブルン振っちゃったら

半径6.3m 近づけないんですよ。
(秋野)そうですね。

(本郷)だから 当時の槍衆は

足軽なんかに これ持たせると
突くんじゃないんですよ。

上からたたくんです。
(関根)ああ! こうやってね。

それで相手の頭を遠心力でボカーンって。
うわ~ これは痛そうです。

やっぱ みんな 広背筋鍛えなきゃ。
ここを。

丈夫だったんじゃないですかね。
広背筋 鍛えないとダメ。

(竹山)そんで あの甲冑か。
あ~ すごい。

さて 広背筋と槍で
道を切り開いていった利家ですが

実は もう一つ

戦国の世で生き残るための「武器」となった
ある能力が備わっていたようなんです。

槍の武功で大名に上り詰めた
前田利家。

しかし その道のりは
決して順風満帆ではありませんでした。

追放じゃ!

信長から 突然のクビ宣告や…。

利家を殺さねばならぬな…。

秀吉から 処刑の危機に
追い詰められたことも。

危機に陥る度に
それを乗り切ることができたのは

利家が ある優れた能力を
持っていたからです。

それは…

しかも利家は
謝罪力で失敗を挽回するどころか

出世まで果たすことになるのです。

利家は 二十歳の時
8歳年下のいとこ まつと結婚。

翌年には長女が生まれます。

「さあ これから出世してみせる!」と

意気込んでいたやさき…

人生最初の大失敗をしでかします。

利家自身が後に語った話によると

信長の寵愛を受けていた茶坊主が

日頃から
筋肉自慢の利家を小馬鹿にしていました。

そんなある日
ついに堪忍袋の緒が切れた利家は…。

「茶坊主を御成敗なさった」。

なんと 信長の目の前で

この茶坊主を
斬り殺してしまったのです。

これに信長は激怒!

利家を殺せ!

重臣たちが信長を必死になだめ
なんとか処刑は免れたものの

利家は追放処分に!

織田家をクビになってしまったのです。

突然の浪人生活を余儀なくされた利家。

一時の感情で 新妻と幼い我が子を
路頭に迷わせる

大失敗をしでかしたのでした。

信長は 冷徹な合理主義者。

信頼のあつい家臣であっても
キャリアや立場は関係なく 結果が全て。

ただ普通に謝罪したところで
許されるわけもありません。

[ 心の声 ] どうすれば お館様に
許してもらえるだろうか…。

追放された翌年。

利家に
挽回のチャンスがやって来ます。

「桶狭間の戦い」です。

利家は 信長の許しを得ずに
信長軍として勝手に参戦。

しかも 前田家の史料によると

利家は1人で敵陣に斬り込むと…。

「一番首をお取りになった」。

戦で最初に敵将を倒す
大手柄を立てます。

当時は 敵の首を証しとして主君に届け
褒美をもらうシステム。

首は 手柄をあげたことの
大切な証拠の品でした。

ところが!
利家は思いも寄らない行動に出ます。

「首を 信長公の前で
水田の中へ投げ捨てた」。

褒美をもらう証しの「首」を
自ら捨ててしまった利家。

欲しいのは信長からの許し。
手柄ではないという

信長への
強烈なアピールでした。

しかし信長は…

翌年 美濃の斎藤龍興との戦いが
始まると

またもや勝手に参戦した利家。

ここでも…。

利家は再び 最初に敵将を討ち取る
手柄をあげたのです。

そして もう一度 敵陣に突撃しようとした
利家の姿に…。

待て 待て!

利家を呼び止めた信長は
織田家への復帰を許したといいます。

しかも信長は 利家の扶持を
追放前の3倍にアップ。

更に信長は 前田家の当主には
勇猛な利家こそふさわしいと

家を継いでいた長男に代わり…

実は 1回目の戦で 信長の目の前で
首を捨てたことがポイント。

そもそも ヒトは

五感を使って情報を認識していますが

その割合は 感覚によって異なります。

照明学会の調査によると

最も多くの情報を受け取るのが 視覚。

聴覚と比べると 視覚が受け取るのは

10倍以上の情報量があります。

更に重要なのが…

画像やイラストなどは
言葉よりも記憶に残るというもの。

画像と記憶力の関係を調べた
こんな実験があります。

文字だけの資料でプレゼンした場合と

文字に絵を加えた資料で
プレゼンした場合。

画像の有無で
どれだけ記憶に差が出るのか。

それぞれ 全て理解した被験者に

72時間後 もう一度
プレゼンの内容について聞くと…。

文字だけの場合

僅か10%の内容しか
覚えていませんでした。

一方 絵を加えた場合は

65%の内容を覚えていたという
結果が出たのです。

目の前で「首を捨てる」
という利家の行動が

信長の記憶に
強く刻みつけられていたからこそ

再び 戦でアピールする
利家を見た信長が

鮮明に思い出し
許すことにつながったのかもしれません。

更に 44歳の時。

利家は 自分の命だけでなく

前田家滅亡の危機に
追い詰められます。

「本能寺の変」で命を落とした信長。

その後 織田家を二分する
信長の後継者争いが勃発します。

織田家の宿老 柴田勝家と羽柴秀吉が

「賤ヶ岳の戦い」で激突。

どちらにつくか?

利家は
運命を左右する決断を迫られます。

利家にとって勝家は大先輩。

しかも 利家が信長の逆鱗に触れて
殺されそうになった時

必死に助けてくれた命の恩人が
他でもない勝家でした。

一方 秀吉は
利家が信長に仕え始めた時からの同志。

同い年で かつては同じ長屋に住み

家族ぐるみで つきあってきた
大親友です。

[ 心の声 ] どちらとも戦いたくない…
一体 どうすればよいのだ!?

恩人か 親友か。

迷ったあげく利家が出した答えは…。

勝家に味方することでした。

ところが いざ戦いが始まると
勢いに勝る秀吉軍が圧倒。

利家が味方した勝家軍は
敗北してしまいます。

利家は 親友の秀吉に刃を向けた上に
敗れてしまったのです。

そして戦いのあと
秀吉が 利家の城を訪ねてきます。

秀吉にとっても 利家は大切な大親友。

とはいえ 裏切った利家を不問にすれば
一軍の将として示しがつきません。

実際 利家と同じように
秀吉に敵対した佐久間盛政には

処刑を言い渡しています。

利家の出方によっては
殺すしかあるまい…。

まさに 絶体絶命の危機!

前田家の史料「乙夜之書物」には

この時 利家がとった
意外な行動が書かれていました。

なんと利家は
頭を丸めて秀吉の前に現れたのです。

今でこそ 頭を丸めるのは
謝罪の意味がありますが

当時は違い
武士を捨てて仏門に帰依し

この世と決別することを
意味していました。

利家は 秀吉に一切弁明せず

築き上げた地位を捨て

武将を辞める覚悟を示したのです。

すると その姿に驚いた秀吉は
突然カラカラと笑いだし…。

又左は律儀者じゃ!

そう言って 利家を許したのです。

心理学の専門家 亀口さんは

利家の謝罪は 秀吉にとって
受け入れやすいものだったと言います。

「ああ 俺の怒りを理解しようとしてる」と。

そこに もう 謝罪のやり取りの
前段があるように思います。

世間にさらすわけですから。

そういう代償を払ったんだな
ということが分かれば

許す以外ないねと。

親友の利家の命を奪いたくはない。

かといって 一軍の将として

簡単に利家を許すわけには
いかなかった秀吉。

しかし 利家が頭を丸めるという

誰が見ても納得する形で
謝罪の意を示したことで

秀吉は 許す大義名分を
得ることができたのです。

言葉ではなく 態度で示すことで
相手に思いが伝わる

利家の「謝罪力」。

それは 利家自身に
更なる幸運をもたらすことになりました。

それまでは「ただ 戦に強い人」
という評価だったのが…。

利家に「誠実な人」という評価が
加わったのです。

利家の誠実さは
諸大名からの信頼につながりました。

利家の謝罪力は
豊臣政権のナンバー2という地位へ

自らを押し上げる原動力となったのです。

なるほどね~。

いいお人柄だと
みんなに伝わったんですね。

上手な謝り方。
(笑い)

あれが 何にもしないで ちょっと軽く
「許して頂けますか」って言うと

「お前 反省してない」って言うけど
そっちゃって行くから。

「おいおい そこまでやったか」っていう。

あのオーバーな謝り方は
伊達政宗を思い出しますけど。

戦国時代の謝罪で
有名なのが伊達政宗。

天下人の秀吉を怒らせた政宗は

死を覚悟した「白装束」を着て謝罪した

というエピソードがあります。

結局 あの伊達政宗は
利家を頼るんですよ。

利家を頼って 豊臣政権との連絡をね
必ず取ってるんですよ。

だから まあ利家は 政宗に何くれとなく
いろんなことを教える立場。

だから もしかしたら政宗は

利家あたりから
知恵を拝借したのかもしれません。

すごいスターの人の横には

まあ 同じ業種で
後輩とか すげえ仲いい人がいて。

「俺 この間 あの人に
ちょっと やらかしたみたいなんで

謝りたいんですけど
どうしたらいいですかね」って聞いたら

「じゃ 俺 聞いてやるよ」とか
「あ~ いらない いらない。

あの人 そういうの気にしないから」とか

「こんなん持ってきたら喜ぶよ」
とかいう感じあるじゃないですか。

利家が そんな感じじゃないですかね。
秀吉に対してね。
(本郷)そうそう!

みんな一回 利家のとこ行って。
「どんなもんでしょうか」って。

「殿下 殿下
どうなんですか?」って聞いて。

でも ほんとに
人には誠実でっていうことで

それだけは一貫してる人みたいですね。
そうなんですよ。

だから… 割と そろばんが得意で。
お金勘定 彼 すごい得意なんですよ。

お金貸してたみたいです。
あ そうですか。

それで 亡くなる時に 息子に

「あれは全部 返してもらわないでいい
ことにしろ」って言って。

へえ~。
(本郷)そうすると前田家は
すごく評判が上がるんですね。

頭いいな~。
なるほどね すごいですね。

1590年。

秀吉は天下統一を成し遂げます。

利家は 豊臣政権のナンバー2として
秀吉を支え続けました。

そして 52歳を迎えると
ある決断をします。

長男の利長に家督を譲り
隠居することにしたのです。

これからは まつと2人
静かに余生を過ごしたい。

ところが…。

思いも寄らない事態に見舞われます。

秀吉が病に倒れ
亡くなってしまったのです。

すると その死を待っていたかのように

あの男が
次の天下を狙って動きだします。

家康は 秀吉が生前に定めた掟を無視。

伊達家など有力大名との縁組みを
許可なく行い

天下への野心をあらわにしていました。

おのれ家康!
勝手な振る舞いをしおって!

横暴な家康に対し
利家が立ち上がります。

現場に復帰した利家は
家康の屋敷に出向き

厳しく問い詰めます。

前田家の史料には
家康の意外な反応が書かれていました。

なんと家康は
素直に謝罪したのです。

これは 家康が書いた
起請文の写しです。

家康は
今後は勝手な行動を慎み

決して約束を破らないことを
誓いました。

この時 政権内のほとんどは
親・利家派で

家康の味方はいませんでした。

しかも 亡き秀吉からの信頼もあつく

まだ幼かった跡継ぎ 秀頼の
後見人でもあった利家。

この時の家康は 利家を敵に回すことは
できなかったのです

家康の横暴から豊臣家を守れるのは
自分しかいない。

利家は 60歳を過ぎたとは思えない

スーパーシニアぶりを発揮します。

61歳の時には

近所で火事が起きると
屋敷の屋根に軽々と上り

火の回りを確認したという
エピソードが残るほど!

晩年まで元気いっぱいだった利家。

その元気の源も また

あの「槍で鍛えたムッキムキの
広背筋」にあったと考えられます。

年を取って 広背筋が衰えると

肺を動かす胸郭の動きが弱くなり

呼吸で体内に取り込める酸素量が
少なくなります。

すると 免疫力が落ちるなど
健康に悪影響を及ぼしてしまいます。

しかし!

…という報告もされています。

利家のように
若い頃から広背筋を鍛えると

呼吸しやすい体になり

若々しい体を保つことが
できるのです。

家康へのおもしとして大坂城に詰め

秀頼のそばから
片時も離れなかったという利家。

秀頼が成人するまで
豊臣家を守り続けなければならない!

と思った その時…

利家の体に異変が。

慶長4年 閏3月3日。

息を引き取ります。

享年61。

利家に 一体何が起きたのか?

亡くなる4か月前。

前田家の史料には 利家の体に
異変が起こったことが記されていました。

黒っぽい尿が
出たのです。

しかも…。

3か月以上たっても 尿は薄墨のまま。

これこそが
利家の死の謎を解く鍵だといいます。

尿の色は 健康のバロメーターです。

「薄い黄色」は健康。

「濃い黄色」だと 脱水状態や肝臓の異常。

「赤」は
尿管結石や膀胱炎などで出血した状態。

薄墨色の尿とは
どんな病状で出るのでしょうか。

右が 実際の「薄墨色の尿」の写真です。

尿が黒くなるのは
胆汁に含まれるビリルビンが混じるため。

総胆管結石や胆のうガンなどが
疑われますが

総胆管結石が
短期間で重症化するのに対し

胆のうガンは 徐々に悪化していきます。

利家の場合 薄墨色の尿が
100日以上も続いたことから

総胆管結石ではなく
胆のうガンの可能性が疑われます。

更に 史料には 死の20年以上前

利家が まだ40歳の頃に

胆のうガンの兆候をうかがわせる
ある体の不調が記されていました。

「御持病の虫になられた」。

「虫」とは腹痛のこと。

利家は 腹痛が持病だった
といいます。

しかし 利家の腹痛は
ただの腹痛ではありませんでした。

「鶴の汁を
たくさん飲まれたので

虫にあたってしまった」。

鶴を大量に食べたあと
腹痛を起こす一方で…。

うどんを食べた時は
腹痛を起こしていません。

鶴では痛みが出るのに
うどんでは痛みが出ない。

この違いは 食事に含まれる
コレステロールにあると考えられます。

鶴のような渡り鳥は
一般的な他の肉に比べて

脂質やコレステロールが多いのが
特徴とされています。

脂質やコレステロールが多い食事をすると
腹痛が起きる。

その原因として考えられるのは…

胆石とは 主に 胆汁に含まれる
コレステロールが結晶化したもの。

ほとんどの場合 胆のうにできます。

胆石を持つ人が
脂分の多い食事をした時

脂分の消化を助けようと
胆のうが収縮します。

すると
胆石が入り口で詰まり

胆のうが痙攣を起こし 痛みが出るのです。

鶴を食べると腹痛が起こり

それが持病と言われるほど
継続していたことから

利家は胆石ができていた疑いがあります。

医師の田邉さんは

この胆石が 胆のうガンを引き起こした
可能性があると

指摘します。

胆のう内に
結石が長い間 存在することによって

慢性的な炎症が刺激になって

胆のうガンが発生してくるというような
考え方もあります。

国立がん研究センターの調査では

胆石ができると
胆のうガンになるリスクが

およそ3倍になることが
報告されています。

ただし

胆石があれば「必ず」胆のうガンに
なるわけではありません。

しかし 何らかの関連性があるのではと
研究されています。

利家の死因も

胆石ができたことによる
胆のうガンだった可能性があるのです。

利家の死をきっかけに 豊臣家は分裂。

崩壊が始まります。

死の翌年 「関ヶ原の戦い」が起こり

豊臣恩顧の大名は
東西両軍に分かれて刃を交えることに…。

そして 大坂の陣。

家康は およそ16万の大軍で
大坂城を取り囲みます。

既に 秀頼を守る力は
豊臣方に残っておらず

戦いは
徳川軍の一方的な勝利に終わりました。

利家の死から 16年。

豊臣家は ここに滅亡したのです。

う~ん 利家が生きてたら

全然 歴史違ったんでしょうね
下手したらね。

やっぱり あの…
家康と それから利家が

もう 一触即発のところまで
いったんですよ。

その時に大名たちが
「俺は じゃあ 家康の方へ味方する」

「私は利家に味方する」って言って
真っ二つに割れたんですね。

大体 それが
関ヶ原の東軍と西軍なんだけど

東軍についた加藤清正 加藤嘉明
それから細川忠興

この辺りは 利家側に味方してました。

だから あの時点で戦ってたら
分かんなかった。
そうか…。

じゃ 家康にとっては もう
「しめしめ」ぐらいのことですね。

待ってるうちに どんどん
亡くなっていく人が増えるから。

ここで医学面からアドバイスして頂くのは
植田美津恵さんです。

どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

胆石って 胆のうガン…。
ね。

胆石になったら イコール直結で
ガンになるっていう…。

(植田)いや 全然そんなことはないです。

胆石があるから胆のうガンになるという
証明は されてないんですね。

ただ 胆のうガンの人を調べたら
石もあるよという人が

ガンの中で 半分ぐらいは
いらっしゃるという

ちょっと分かりにくいんですけど
そういった関係性なんです。

(秋野)胆石って
症状がないとかもあるんですか?

(植田)症状がない人 いっぱいいます。
えっ そうなんですか。

(植田)気が付いてない人も
たくさんいらっしゃるんですね。

調べてみたら石あるよってことにも…。
(植田)そういうこともあります。

ただ カルシウム成分が少ないので
レントゲンには写りにくいですから。

あ~ そうですか。
(植田)エコーとか MRIとか

そういうので偶然見つかるっていう
ケースもあります。
へえ~。

少なくとも 症状のない人を含めれば
1, 000人に1人 あるいは

もっとたくさんっていう
推測もあります。       結構多いですね。

胆石ができやすい人っていうのは
分かるんですか? 先生 ご覧になってて。

できやすい人っていうのは
まず やっぱり食生活ですよね。

どか食いしちゃう人。
あ~。

夜遅くに食べることが多い人。

あれ?
油っぽいものが好きな人。

ヤバいな。
あれ~ ヤバい。

あんまり運動が苦手… 不足の人。
そうかな~。

本郷先生は まずいな。

全部当てはまって。 竹山さんと。
(竹山)はい。

(植田)逆に ダイエットも危険です。

(竹山)ダイエット危険?
はい。 胆のうの中の胆汁っていうのは

いろんな成分で
できているわけですけれども

その成分の一つのコレステロールが
結晶化して 石となるわけですね。

ダイエットすると脂分を抜いたり
食事のバランスが崩れたりすると

胆汁が流れにくくなって
結晶化を促してしまう傾向があるんです。

先生 お酒どうですか?

適度なお酒が
胆のうの収縮をする機能を維持させて

胆石をつくりにくくする…。
ほんとですか?

アルコール成分が?
そうです。

(秋野)あら!
(関根)ただ 適量ですよ 適量。

適量ってのは どの量を適量?
ものすっごい少ないですよね 適量って。

ビールだったら中瓶1本ぐらい。
(竹山)あ~ それくらいか。

じゃあ 先生… から揚げと焼きそば
ガンガン食いながら

毎回ビール1本飲んでる。
これは どうなんですか?

全部 消してもらえるんですか?
(植田)いや やっぱり

消してもらうとか中和するっていうのは
一旦 体の中に入ったら ないんですよ。

(笑い)
(竹山)そういうことか。
(植田)気持ちは分かりますけれど

その安心感は
一番リスクが高いかなと思います。

全員 可能性あるんですか?
ならない人 なる人じゃなくて。

全員 可能性はあります。
しかも今 増えているので。 日本では。

何か 胆石にならないための
おいしいものとか ないですかね?

いいことは。
なかなか ないんですけれども… ただ

朗報としてはですね ナッツ。

ナッツを週に5回ぐらい
食べている女性は

胆石が重症化するリスクが
20%ぐらい減ったりとか。

やった!
私 1日20粒ずつ食べてるんです。 毎日。

(関根)
じゃ リスは やっぱり健康ですよね。

(笑い)
リスの胆石って
あんまり聞かないですよね。

リスはナッツなんかより種とか…。

そういえば そのお酒なんですけれども
本郷先生

利家が どうなんですか?

酒豪だったという。
いや あんまり 利家が酒豪だったとか

逆に 全然酒飲まなかったとかって話は
聞かないですね。

だけど やっぱり彼は すごい
信長にかわいがられてましたし

信長っていう人は酒飲まないとか
それから 少なくとも節制する

そういうタイプの人だったので 利家も
そんなに飲まなかったのかもしれない。

準じてたのかもしれませんね。
で 昔 鶴食べたんですね?

(本郷)食べた 食べた。
(秋野)今や天然記念物なのに。

(本郷)献立表が残ってるんですけど。
そういう時に必ず 鶴って出てきます。

そうですか。
でも ほんとにね

江戸の終わりまで続く
加賀百万石の繁栄を築いた人ですものね。

今日は とても学ぶことができました。
どうもありがとうございました。

(一同)ありがとうございました。

♬~

誠実さと周囲から慕われる人柄で
戦国の世を生き抜いた 前田利家。

利家の死後 天下を取った徳川家は

豊臣恩顧の大名家を
次々と潰していきます。

そんな中 あの家康も一目置く存在だった
前田家は

江戸時代を生き残り
現代まで続くことになります。

利家が死の床で
妻まつに代筆させたと伝わる遺言書。

家康への対処のしかたや
身の処し方など

前田家の行く末について
事細かに指示を残しています。

これから先の時代
前田家が生き残っていくために

何が必要か。

その心構えを
利家は こう記しています。

「武道のみを本道とするな
文武二道の侍には分別がある」。

これからの前田家に必要なのは
「文」の力。

前田家は 代々この遺言を守り続け

加賀百万石の地に 大輪の花を咲かせます。

その一つが 絢爛豪華な工芸品の数々。

江戸や 京の都から 職人を大勢呼び寄せ

藩の大切な産業として奨励しました。

こちらは「加賀毛針」と呼ばれる
アユ釣り専用の毛針。

1cmにも満たない針に
色とりどりの羽毛を巻きつけた

小さな小さな工芸品です。

前田家では 武士の鍛錬のため

武芸の代わりに
「アユ釣り」が奨励されました。

そんな中 武器である弓矢の羽毛を使って
作られたのが

加賀毛針の始まりとも言われています。

武士と民 皆で育み
独自の発展を遂げた美の世界は

金沢を全国でも屈指の文化都市として
繁栄させる原動力となりました。

利家の思いは 世代を超え
そして時代を超えて

現代まで
大切に受け継がれていったのです。

♬~

(シャワーの音)


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