歴史秘話ヒストリア「特攻 なぜ若者は飛び立ったのか」太平洋戦争末期、日本軍が行った「特攻」。この残酷な任務で…



出典:『歴史秘話ヒストリア「特攻 なぜ若者は飛び立ったのか」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「特攻 なぜ若者は飛び立ったのか」[解][字]


太平洋戦争末期、日本軍が行った「特攻」。この残酷な任務で命を落とした一人の若者・上原良司が残した文章から、揺れ、うつろい、それでも考え続けた心の内を見つめる。


詳細情報

番組内容

太平洋戦争末期、日本軍が行った体当たり攻撃「特攻」。この残酷な任務で命を落とした一人の若き特攻隊員に関する資料が、今あらためて注目を集めている。学徒出陣で陸軍に入った上原良司は、戦局が悪化する中、特攻隊員に志願。出撃前夜まで、自分の心情を手記などに書き続けた。「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます」。非情な運命と闘った若者の、揺れ、うつろい、それでも考え続けた心の内を見つめる。

出演者

【朗読】岩田剛典,【キャスター】渡邊佐和子



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「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

太平洋戦争末期

日本軍は
航空機などによる体当たり攻撃

「特攻」を行いました。

今日は この「特攻」を

上原良司という 一人の特攻隊員の
目を通して見ていきます。

「きけ わだつみのこえ」は

太平洋戦争で戦死した
学生たちの「遺稿集」。

戦後 多くの人に
読み継がれてきました。

その冒頭に 上原良司の文章があります。

「私は 明確にいえば
自由主義に憧れていました。

日本が 真に
永久に続く為には

自由主義が必要であると
思ったからです」。

言論統制が厳しい戦時中にあって

正直な心情を記した 上原。

近年 彼と家族が残した文章などの

詳しい調査が始まり

更なる心のうちが

明らかになりつつ
あります。

今回 上原の心情を朗読するのは

パフォーマー・俳優の 岩田剛典さん。

上原と同じ 慶応大学の出身です。

「特攻」に直面した若者の
揺れ 移ろい

それでも考え続けた 心を見つめます。

♬~

北アルプスの麓
長野県安曇野市。

上原良司のふるさとです。

1922年 地元の医者の家に生まれました。

おいの上原幸一さんによると…。

上原の父・寅太郎は 新しいものを
進んで取り入れる人だったといいます。

(シャッター音)

上原は 3番目の男の子。

後に 妹たちも生まれます。

子供たちに対して
寅太郎は こう 語り聞かせました。

1937年 上原14歳の時
日中戦争が始まります。

父の寅太郎は 軍医として出征。

その時 子供たちが撮ったのが
こちらの写真です。

「父サン 頑張レ!!」。

そして もう一枚。

上原たちにとって
戦争は まだ遠い出来事でした。

しかし 次第に日本は
国際的孤立を深めていきます。

1940年の日独伊三国同盟で

アメリカとの対立も決定的となりました。

翌年の春 上原は
慶応義塾大学 経済学部に入学。

僅か半年後の12月には

日本軍が ハワイ 真珠湾を奇襲し
太平洋戦争が勃発します。

上原が 戦争の間つけていた
日記や手帳です。

その中に 開戦当日の記述がありました。

「私は 快哉を叫んだ」。

「正午の時報だ。

それが終わると
宣戦の詔勅の奉読があった」。

始まったぞ。

「私たちは脱帽して 起立して
これを聞いた」。

「そのあとで 東条首相の

宣戦の詔勅を賜ったことに
対する

熱烈なる祖国愛に燃える
演説を聞く」。

「これが終わって 戦況ニュース。

ここでも 我々は歓声をあげた」。

おお… やったな!

やった~!
やった!

(一同)万歳! 万歳! 万歳!

しかし 次第に
相反する気持ちが生まれます。

戦争が 自らに降りかかってくることへの
不安 そして恐れ。

戦争は 上原や その家族に
何をもたらしたのか。

上原の母校・慶応大学では
2010年から 調査を続けています。

膨大な遺品や文章から

戦争に向き合う中で揺れ動く
若者の心情が 鮮明になってきました。

このころ 上原が出会った一冊の本。

独裁者・ムッソリーニに
抵抗した

イタリアの哲学者の
生き方と思想が

紹介されています。

「自由=人間性」。

書き込みは 上原の自筆。

赤線も引き 熟読しました。

社会が 戦争に のめり込んでいく
時代にあって

上原が 固く信じるようになったのは
「自由」の大切さでした。

「自由は
最後に於て勝つ。

自由こそ 吾人の
求むるものである」。

<出陣学徒壮行の会は

秋深き 神宮外苑競技場において…>

上原が大学生になって 3年目の秋。

東京・神宮外苑競技場で行進する
大勢の学生たち。

「学徒出陣」です。

上原も その中にいました。

それまで学生は
兵役を免除されていました。

しかし 兵力不足を補うため
免除が取り消されたのです。

御国の若人たる諸君が
勇躍学窓より征途につき…。

天皇陛下 万歳!

(一同)万歳!

(東条)万歳!
(一同)万歳!

その年の12月
上原は 陸軍の歩兵連隊に入ります。

待っていたのは
制裁に名を借りた暴力。

学生気分を捨てさせ
一人前の軍人にするという名目です。

そんな時 上原に
ある進路が示されます。

戦闘機などのパイロットです。

当時 日本の陸海軍には
それぞれ 航空部隊がありました。

しかし両軍とも
パイロットが不足していました。

そこで陸軍は 学生出身の兵士を
短期間で パイロットにする

制度を作ります。

そして 対象者には

士官への早期昇進を約束しました。

陸軍に入隊して 3か月。

待望の「特操」となった上原は

飛行学校で訓練を始めました。

誇り高いパイロットへの道が
開けた そのやさき…。

何が あったのでしょうか。

「航空眼鏡を
かえられたる者あり。

ために演習後 検査あり。

夕食を取らず
入浴もできずにいる。

犯人の出るまでは

この状態を
続けるとの方針」。

同期が1人 飛行用のゴーグルを紛失。

全員の不祥事として

上原たちは
寝ることまで禁じられました。

そして 翌朝…。

(上官)犯人が出なければ…

貴様ら全員 ぶっ倒れるまで…
立たしておく!

起立は
14時間に及びました。

装備は 天皇から賜ったもの。

それを なくしたという理由で

無関係な者まで
常識外れの責めを負わされる。

日本の軍隊による
理不尽な仕打ちへの 強い憤り。

半年ほど前まで
一学生だった上原は

それとは全く異なる世界で
もがき 苦闘していました。

上原良司が持っていた
「クロォチェ」の本。

この本には 秘密が 一つありました。

文章のところどころに
丸で囲まれた文字。

それらを拾っていくと

あるメッセージが浮かび上がります。

気が付いたのは
末の妹 登志江さんでした。

(登志江)「き」「よ」「う」「こ」「ち」。

いや 初めは…

「秘密のメッセージ」とは
どのようなものだったのか。

それを知る前に 彼が身を投じた…

ご覧頂きましょう。

日本軍は 危機に陥っていました。

サイパン島に
アメリカ軍が上陸します。

日本が死守すべき
絶対国防圏の一角。

更に サイパンのある
マリアナ諸島近海の戦いで

日本軍は 大敗しました。

このころ 陸軍内部で

特攻実現に向けた動きが
加速していました。

その中心にいたのが…

この年の2月 東条は

陸軍の作戦を統括する参謀本部のトップ
参謀総長にも就任。

すると翌3月 参謀本部内で

「特攻」の採用が おおむね決まったと
言われています。

しかし 陸軍航空本部が猛反発しました。

今日の航空不振は
第一線将兵の責任ではない。

中央当事者の責任である。

親の責任を
子供の犠牲によって償うことが

どうして出来ようか。

その直後 安田は更迭されます。

後任は…

東条に次ぐ立場の
参謀次長で

親友と言われた人物です。

後宮は 早速 会議を開き
こう 口火を切りました。

現戦況を打開するため

必殺体当たり部隊を
編成することが

不可欠であると考える。

しかし 次々に 反対の声があがります。

後宮閣下は…

強硬な反対意見に接した後宮は
一旦 特攻作戦を棚上げとしました。

ところが そのころ
ある出来事が起きます。

前線で
4機の陸軍機が

敵艦船に体当たりしたのです。

陸軍は それを「壮挙」

「勇ましい行為」と たたえました。

新聞も 大々的に報道。

情勢は 一気に
特攻へ動き始めます。

ここを基地に B29が

日本を空襲することを意味していました。

責任を取り 東条は職を退きます。
しかし 特攻への流れは止まりません。

ここでも 反対論が出ました。

しかし
常識は通らなくなっていました。

「国体」は 天皇を中心とした
国の在り方のこと。

当時は 国家が 個人に優先すると

考えられていたのです。

尋常でない手段「特攻」が
陸軍の戦術として 固められていきました。

同じ7月 特操 上原良司は
基礎訓練を終え 飛行学校を卒業します。

仲間たちの寄せ書きには…。

「見るからに
操縦の上手そうな気がしたが…

案外 下手」。

「いかにも KOボーイの
ロマンチシスト」。

「話をする内に 良い男とわかった。

其の良い男よ
国の為にも良き男となれ」。

上原自身はというと…。

「我々は 飽くまで
闘うのみだ。

自由主義の勝利 それは
当然すぎる程 当然であろう。

自分は
自由の力を信じている」。

そして…。

<神風特別攻撃隊 敷島隊員は

敵艦隊攻撃の命を受けて 出発せんとす>。

航空機による特攻が始まります。

最初に実施したのは 海軍でした。

戦果は 予想を超えたものとなりました。

小型の空母1隻を撃沈。

11隻の艦船に 大損害を与えます。

戦争に疲弊していた
国民は

特攻隊の奮戦に
沸き立ちました。

そして11月 陸軍も
特攻に踏み切ります。

<散るや散る 潔く散る祖国の花

桜にも似て 清く猛く…>

フィリピンのアメリカ艦隊に
体当たり攻撃を行ったのです。

自分の命も顧みず
お国に尽くしたと賛美された 特攻。

実は 上官の「命令」ではなく

自らの「志願」で出撃したとされました。

そこには 陸軍の事情
思惑があったといいます。

生還の見込みが ほとんどない任務に
就かせるため 陸軍がとった方法。

陸軍特攻の責任者の一人だった
菅原道大は こう記しています。

「志願者は 一歩前進
という方法もあれば

中隊長が
一名ずつ呼び寄せて
確かめるのもある。

希望に 更に
熱望の欄を設ける等

さまざまであったようである」。

「この際 『誰々は 特攻を
志願しないそうだ
臆病な奴だ!』

『某は 特攻志願で
張り切っている」等々

ささやかれたであろう」。

上官は 強制ではないと言いつつ
下に迫り

下は重圧の中 上官の意向を忖度する。

その結果 若者たちは「志願」しました。

こうして実現した
陸軍の最初の特攻は

戦艦と輸送船
各1隻を撃沈という

大戦果とされました。

陸軍参謀総長・梅津美治郎は

直ちに 昭和天皇へ上奏します。

これに対して 天皇は…。

特攻隊が上げた戦果を喜び

褒めたたえたといいます。

この後 陸軍は
特攻への傾斜を強めていきました。

<悠久の大義に生きる靖国隊。

機上にあるは 神にして人ならず。

万世を貫く神々の出陣である>

そのころ
訓練中だった上原良司は

特攻に対すると思われる
激しい憤りを つづっています。

しかし 11月27日。

ついに 特操から

特攻として
出撃する者が
出ます。

上原にも 決断の時が迫っていました。

陸軍の特攻に
大きな影響力を持ったと思われる

総理大臣・東条英機。

その東条に 次のようなエピソードが
伝えられています。

東条は 陸軍の飛行学校などを訪れた時
生徒たちに こんな質問をしました。

生徒たちが 高角砲 機関銃といった

兵器を答えると…。

「銃に依って撃墜すると考えるのは
邪道である。

何処迄も 魂に依って
敵に ぶつかってゆかなければ

敵機を墜すことは出来ない。

此の気魄があって 始めて
機関銃によって撃墜出来る」。

軍全体で 特攻を推し進める 日本。

特操 上原が飛ぶ空は
過酷なものとなりました。

大勢の人たちが見入っているのは

太平洋戦争中に陸軍が開発した
戦闘機です。

スマートな機体と翼で
高速 かつ優れた運動性能を

備えていました。

特攻にも 盛んに使用され
上原良司の搭乗機も この「飛燕」でした。

1945年に入ると 戦局は 絶望的に悪化。

戦場は 沖縄に移ろうとしていました。

陸海軍は 合同で

沖縄戦の作戦方針を
まとめます。

その主力とされたのは 特攻です。

しかし このころ
アメリカ軍の対策が強化され

特攻の効果は 少なくなっていました。

戦果の見極めも難しく
誤りが多かったと言われます。

それでも日本軍は 命を消費していく
特攻を やめませんでした。

上原良司は 特操の同期と共に
集合を命じられました。

部隊長が 口を開きます。

今の日本を守るには 体当たりにより
一機よく一艦を屠る以外にない!

これに志願するものは
明朝までに申し出るように。

ついに 選択を迫られました。

翌朝 全員が「志願」。

激しい地上戦が始まります。

上原は 陸軍特別攻撃隊
「第56振武隊」に配属されました。

出撃前 特攻隊員は帰郷を許されました。

妹の登志江さんは 帰ってきた兄が
不思議なものを見せてくれたことを

覚えています。

これ あれなんですよね。

こうやって。 これを… これを私に。
それでね…

今 するかしら。

どっか うんと強く。 それで…。

ハー… もう しないかな。

事故で亡くなった戦友が乗っていた
戦闘機の一部。

上原は それを
登志江さんに託しました。

(取材者)どういう お気持ち
だったんでしょうね 良司さんは。

(取材者)えっ?

沖縄の日本軍が
徐々に追い詰められていた頃。

ふるさとから戻った上原は
訓練を続けながら 出撃を待ちます。

5月1日 上の妹の清子が
面会のため 訪ねてきました。

(雨音)

あ~… 雨降りか。
まったく 体を持て余すよ。

よし 俺が
新宿の夜店で たたき売ってやらあ。

おっ!
その金で 映画でも見るか。

おお?
ハハハハッ!

死を目前にした 若者たちのやり取り。

清子は それを書き留めました。

あ~あ だまされちゃった。
特操なんて 名前ばかり良くてさ。

今度 生まれる時は
アメリカに生まれるぞ。

おお~?
ハハハッ。

これが ニューヨーク爆撃なんて言うなら
喜んで行くがな。 死んでも本望だ。

実際だ。 心残りは アメリカを
いっぺんも見ずに死ぬことさ。

いっそ 沖縄へ行かず
東の方へ飛んでいくかな。

アハハッ。
アメリカへ行かぬ前に おだぶつだ。

(笑い声)

向こうのやつら 何と思うかな。

ほら 今日も ばかどもが来た。

こんな所まで自殺しに来るとは
まぬけなやつだと笑うだろうよ。

(笑い声)

数日後 上原は
鹿児島県の知覧飛行場に移動します。

沖縄まで およそ650キロ。

陸軍特攻作戦の
最前線基地です。

そして…。

上原の出撃が 5月11日に決まります。

前日の夕方 隊員たちが集められました。

その夜 兵舎の中で上原は
その胸中を したためました。

7枚の原稿用紙に書かれた
「所感」と題する遺書。

自らの心のうちを
隠さず語り続けた上原の

最後の言葉になりました。

早朝 上原は飛燕に乗り
沖縄へ向け 離陸します。

22歳の命が奪われました。

敗戦の翌年 上原良司は

小さな骨壺となって
ふるさとに戻りました。

(幸一)真ん中が長男の良春で

左側にある写真が 2番目の龍男です。

上原家は 戦争で 良司をはじめ
3人の息子を失いました。

兄たちは 軍医として戦場に赴き
戦死しました。

30歳 25歳 22歳での死。

両親は 息子たちの胸像を作りました。

♬~

(登志江)こうやって
戦争で死んだ人たちのことを思うと

ほんとに もうね 悔しいっていうかね。

世の中が こう にぎやかで 平和というか
一応 平和みたいな感じで

ビルや何かも いっぱい建って
電気も いっぱい あれしてて

だんだん だんだん良くなってくるのを
見ると

ああ 亡くなった方たちに
一目 こういうの見せたいなって

いつも思っちゃうの。

去年 イギリスから
思いがけない知らせが届きました。

戦争に関する
貴重な資料を収集する博物館から

上原の文章を 収蔵品に加えたいという
依頼が寄せられたのです。

上原の言葉は 人類共通の遺産として

見直されようとしています。

さて 皆さん思い出して下さい。

秘密のメッセージが残されていた
上原の愛読書です。

丸で囲まれた文字を
たどっていくと…。

それは 幼なじみへのラブレター。

♬~


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