先人たちの底力 知恵泉 キネマ事始め 牧野省三(後編)信じる道を突き進め!・盟友と別れ新たな映像表現を見つけ…



出典:『先人たちの底力 知恵泉▽キネマ事始め 牧野省三(後編)信じる道を突き進め!』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉▽キネマ事始め 牧野省三(後編)信じる道を突き進め![解][字]


日本映画の父といわれ無声映画時代をけん引した牧野省三。後編は盟友と別れ新たな映像表現を見つけていった後半生にスポットを当てる。大きな壁を前にへこたれない知恵とは


詳細情報

番組内容

日本映画の父といわれ、無声映画時代をけん引した牧野省三。れい明期の映画界で先駆者として功績を残していくが、次第に目指す方向性に悩み、仲間だったスタッフや俳優と袂(たもと)を分かつ。後編は苦悩の中から新たな映像表現を見つけていった後半生にスポットを当てる。大きな壁を前にへこたれない知恵の数々。ゲストは周防正行、大先輩の映画人の格闘を、ヒット映画監督はどう読み解くのか。今を生きる人々へのエールとは?

出演者

【出演】映画監督…周防正行,飯田里穂,早稲田大学教授…小松弘,【出演】新井秀和



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先人たちの底力 知恵泉 キネマ事始め 牧野省三(後編)信じる道を突き
  1. 牧野
  2. 映画
  3. 牧野省三
  4. 自分
  5. 本当
  6. 世界
  7. 時代
  8. 活動写真
  9. 作品
  10. 知恵
  11. 当時
  12. 教育映画
  13. 発想
  14. 映像
  15. 横田
  16. 日本映画
  17. 監督
  18. 気持
  19. 教育的
  20. 劇場


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この暖簾にだって
俺の魂が籠もってるんだ!

京都で劇場を経営していた
牧野省三。 当時30歳。

演劇に詳しいところを見込まれて

「活動写真を撮ってみないか」と
誘われます。

自分の劇場の出し物を

そのままカメラの前で演じさせるという
アイデアで

時代劇を次々に発表。

日本映画のパイオニアとして
注目されるようになりました。

撮影中の失敗からヒントを得て

トリック撮影にも挑戦。

ヒトが消えたり 変身したりの
忍術映画を作って 大当たり。

主演俳優 尾上松之助

製作者の横田永之助と共に

ヒットメーカーとして

日本映画を けん引していきました。

新たな娯楽として
人々の間に定着していった活動写真。

大正元年には
国内の映画会社4社が合併して

日本活動フィルム株式会社が誕生します。

横田永之助は
重役に収まりました。

ところが 牧野はといえば
せっかくの成功が崩れ始めてしまいます。

今思えば このひと言が
なかったのが まずかった…。

牧野の映画で 忍者は 高い所から
飛び降りても ピンピンしています。

これを信じ込んで
マネをする子どもが続出。

骨折などの大けがをするに及んで
忍術映画に対する批判が沸き起こります。

牧野省三
絶体絶命 大ピンチ。

でも 知恵を絞って
ピンチをチャンスに逆転させるのです。

今回 知恵を読み解くのは
映画監督 周防正行さん。

映画界に次々と波紋を起こす
周防さんの作品。

人間の心に潜む
憧れや 夢や 不安を呼び覚まし

向き合わせる。

映像の持つ力を知り尽くしたマエストロ。

よ~い はい!

最新作は 活動写真の世界を
コミカルに描いた「カツベン!」。

日本映画を立ち上げた先人たちの
喜びと苦労 笑いと涙あふれる作品です。

このまま 二人で逃げへんか。

100年前の大先輩 牧野省三。

果たして どんな知恵があるのか
読み解いて頂きましょう。

(飯田)またもや ピンチが訪れてましたね。
そうですね。

今の時代だったら
大炎上っていう感じですかね。

ネット社会ですし 余計ね
今だったら もう大変じゃないですか。

「よい子はマネしないで下さい」
のやつですよね。

「許可を得て撮影しています」とかも
見ますよね。

最初に何かやっていかないと

何も始まらないというのが
ありますからね。

あっ こんばんは。
こんばんは。

いらっしゃいませ。          こんばんは。
お待ちしておりました。

どうぞ どうぞ どうぞ。
ありがとうございます。

どうも。
今日も ありがとうございます。

よろしくお願いいたします。
前回に続いて 牧野省三なんですけど

今ちょっと いろんなトラブルに
巻き込まれているのをね

見てたんですけれども。
映画人って 非常識な集団なので

トラブルは 割にありますよ。

日常の世界に出ていって

ロケをするということ あるわけですよね。

こっちは もう普通の人にとってみたら
非日常のことをやっている。

「ファンシイダンス」っていう映画の時に
お寺を借りて撮影させて頂いたんですね。

そこは 本当にまだ
修行僧の方もいらっしゃって

彼らのお務めの邪魔にならない形で
撮影をして

で 主人公が つきあってた彼女と
キスをするっていうシーンがあって

法堂で キスシーン撮ったんですよ。

そしたら 修行僧が騒ぎになっちゃって…

で そのお寺の貫首さんって
一番上の方は

板橋興宗さんという方なんですけど
その方が「撮影を許可したのは私だ」と。

「全ての責任は私が負う。 だから 映画を
好きなように撮らせてあげて下さい」と

修行僧に言って下さって
それからも 無事 撮影は続いたんですね。

すごく ホッとしたことを…。
あ~ ホッとしますね 確かに。

さあ 牧野省三はね

そのピンチをどうやって脱していったのか
っていうことなんですけれども

今日 ご用意したメニュー
こちらでございます。

何でしょう?

小? 江戸ユッケ 小?

はい。 何か気付きませんかね?

おいしそうな名前。
江戸ユッケ 小。

エドユッケショウ
エドュッケーション エデュケーション。

どうされたんですか?

まさか ダジャレ? ダジャレですか?
ダジャレですね。

ダジャレですね。

エデュケーションがですね
実はポイントなんですね。

牧野 世の中に役に立つ 教育的な映画
っていうのがですね

これからの知恵に
絡んでくるということなんですね。

江戸前のアジを使った
ユッケでございます。

おいしそうですね。
よければ召し上がって下さい。

うわ~ おいしそう! いただきます。

うん! うん うん。 おいしいですね。
ねえ。

おいしいです。      おいしいですよ。
ありがとうございます。

じゃあ 召し上がって頂きながら
早速 最初の知恵 見ていきましょうか。

こんなひと言が
今の娯楽映画には必ずついていますが

牧野省三の時代には
ありませんでした。

トリック撮影を信じて
大けがをする子どもが出たことから

牧野の忍術映画を非難する声が
世の中に広がっていきました。

牧野が外出中の時のこと。

子どもたちに 石を投げつけられたのです。

この時の牧野は 怒るのではなく

「すまん 堪忍してえな」と
つぶやいていたといいます。

自分の映画が引き起こした問題を
牧野は誰よりも気に病んでいたようです。

もともと 彼は

映像の力で世の中をよくしたいという
思いを抱いていたフシがあります。

しかし世の中の劇場主たちが要求するのは
とにかく客が入る 売れる映画。

となると 横田が求めるのは忍術映画。

期待に応えようと頑張った結果が
こんなことに。

悪いことは重なるもので

尾上松之助との関係にも
ヒビが入ってしまいました。

牧野と二人三脚で頑張っていた松之助も
今では すっかり大スター。

ギャラも高く 何かと お忙しい。

かつての自分を見いだしてくれた
恩人に対して

見下した態度をとるようになったのです。

失礼します。 横田どす。
おっ 横田はん。

松之助さん いつもありがとうございます。
うわ~ 横田はん。

横田も ドル箱スター 松之助の機嫌を
損ねないため

牧野に我慢を強いるようになりました。

どうして こんなことに。

自分の天職と思った
世界が 崩れ落ちていく。

さあ この窮地を突破する知恵が
あるのでしょうか。

ヒットさせなければならないという
プレッシャー。

その壁を越えることばかり
考えて

映画への自分の気持ちを
裏切っていたことに

牧野省三は気が付きました。

壁を越えずに
よい映画を作る方法はあるはずだ。

忍術映画によって「世を惑わすもの」という
汚名を着せられてしまった活動写真。

牧野は
世のためになる作品を作ることで

愛する活動写真の名誉挽回ができると
考えるようになりました。

当時は 第一次世界大戦が終わったばかり。

戦勝国の日本は 好景気に沸いていました。

平民宰相 原 敬内閣の誕生など

新しい時代の息吹が
感じられたといいます。

そんな世相も
牧野を後押ししたのかもしれません。

大正8年 牧野省三は 長年のパートナー
横田と袂を分かち 独立します。

そして
なんと これまでの娯楽映画を封印。

教育映画という 全く違うタイプの映画を
作り始めたのです。

ビデオが普及する前
昭和の終わり頃までは

学校などの教材として
広く使われていました。

牧野省三の教育映画 第1弾は
「都にあこがれて」。

牧野は総指揮に回り
監督は若手の金森万象。

主演は 牧野の長女 富栄でした。

富栄が演じたのは
華やかな都会の暮らしに憧れて

ふるさとを飛び出した 19歳の娘。

東京でだまされ
身売りされそうになるなど

怖い目に遭って
ふるさとのよさに気が付くという

いかにも教育的なストーリー。

牧野省三が手がけた教育映画のうち
フィルムが現存しているのが

楠木正成の妻の賢女ぶりを描いた
こちらの作品。

出演は 後に映画監督として名を成す
内田吐夢や牧野の息子たちです。

描かれているのは
カイコを飼って糸をつむぎ

夫を支えるために頑張る 女性たちの姿。

内助の功の尊さを説いているのでしょう。

教育的 道徳的な映画を
次々と作り続ける 牧野省三。

時代を先読みしていました。

実は このころ 当時の文部省が
映画の影響力の強さに注目し

教育的な利用手段を研究していました。

授業教材だけでなく 映画を使って
国民のあるべき姿を示すという方針が

立てられたのです。

地味でも 社会的な意義のある教育映画。

牧野は 手応えを感じ始めていました。

でも またまた壁にぶつかってしまいます。

なんと 上映してくれる劇場がないのです。

当時の劇場は できるだけ もうかる映画を
上映したいという風潮。

お堅い教育映画は
お客が入らないので お断り。

この困難に 牧野は…。

そや 学校や役場で見てもらえばええんや。

またもや 発想の転換で壁をすり抜けます。

劇場が駄目なら 上映場所を作ればいい。

映写機がないところには 貸し出せばいい。

自社製の映写機まで作ってしまいます。

牧野の信念と情熱に
共感の輪が広がっていきます。

さまざまな宗教団体から

映画の注文が
続々と入るようになりました。

忍者映画への批判に悩み
最大の支援者の横田とも別れて始めた

教育という 新しい映画のジャンル。

大きな壁は越えなくてもいい。
でも 大切にしたいことは諦めない。

牧野のたどりついた知恵です。

牧野さんの
こんだけ偉業をなされている方も

そういう発想の転換を
するんだなっていう。

ピンチをチャンスに変える
壁は登らないとかっていうのを

あっ 何か
こういうやり方もあるんだなって

今 勉強になりました すごい。
なるほど。

大きな壁に
正面から立ち向かうのではなくて

違う道を模索する
ということでしたけれども

周防さん これまでの監督の人生の中で
そういったご経験とかってありますか?

そんなに大きなことじゃなかったと
思うんですけど

1990年代… まあ 僕が監督を始めた頃って
日本映画 本当に人気がなくて

観客 来なかったんですね。
僕は「ファンシイダンス」という映画で

本木雅弘さん主演で
映画を作ったんですけど

これも やっぱり
全然ヒットしなかったんですね。

でも 本木さんが
あんまりすばらしかったんで

もう一本 本木さんでやろうと。

で ヒットさせないといけないと思って

とりあえず 若い女性が
映画館に足を運んでくれること。

これ やっぱり大きいんですよね。

それで…

でもね 裸になる必然を考えた時に

ラブシーンっていうか ベッドシーンで
裸にするなんていうのは

どうも何か当たり前すぎて
面白くないなと思って。

一体どこで人は裸になる必然というものを
持つかっていうことを考えたら…

はあ~。
それで 大相撲の映画って どうだろう?

本木さんが 大相撲の世界に

チャレンジするっていう映画は
できないか。

でも
ここにも大きな壁があって…

あのね 巨漢で お芝居ができて…。
どうしようと思った時に

母校 立教大学 相撲部のニュースが
目に入るんですよね。 学生相撲。

立教大学 相撲部は
その日初めてまわしを締めた学生が

国技館の土俵に上がるっていう。

えっ そんなことになってるの?

まあ だから 弱い方の大学の相撲の
リーグ戦があるっていうのを知って

取材に行ったら 本当に痩せた人たちが
一生懸命 相撲をとっていた。

これだと思って
「シコふんじゃった。」っていう映画が

誕生していくんですね。
はあ~。

発想の転換みたいなのが 本当に
目まぐるしいというか すごくて…。

そりゃ 映画の世界だけではなくて

皆さんも
生活の中でそうだと思うんですけど…

絶対みんな転ぶんですよね。

その時に 上手に立ち上がる。
それが 何か すごく

やっぱり その人の その先を
決めてしまうんだなって思いますね。

なるほど。 小松先生
教育映画っていうことでしたけれども

先生は この教育映画の世界に行った
牧野省三を どうご覧になってますか?

これは これまで見てきたように

牧野省三は 荒唐無稽な映画を
作っていたわけですよ。

忍者が 突然ガマになったりとかですね
そういったものを繰り返し作っていて

これまで自分が作ってきたものが

社会的に どんな意味があるんだろうか
ってことを考えますと

それは単なる…

しかも 娯楽を提供した子どもたちが
マネをして けがをしたりとかですね

自分に石を投げてくるなんていう
そういうような 非常に その

負の遺産を作ってしまったみたいに
思ったんだと思います。

ですから
彼が 教育映画に向かうっていうのは

むしろ 正反対
むしろ それをバネにして

社会に役立てるものにする
っていうのかな?

そういうような発想が
あったと思うんですね。

後には学校で映画を上映するなんてことは
よく行われるんですけども

この時代には
やはり 全国津々浦々どんな学校にも

映写設備があったわけではないので

ないなら 自分のところで
映写機も作ってしまえとかですね

そうして フィルムと一緒に それを
貸し出して 上映するなんていう発想も

すごいですね。 時代を考えると
本当に すごいことだと思います。

人間って そういうことで やっぱり
結構 常識的に凝り固まっちゃって…。

だって 映画は映画館で見るもんでしょう
って これを乗り越えるって

すごいなと思いました。
そうですね~。

当時の文部省が注目していた
っていうことなんですよね。       ええ。

つまり その映画の観客に与える
インパクトって ものすごく強いので

それを使って教育的な…
まさに牧野省三が行ったような

教育的な内容の映画を提示したりとか
まあ そういうことを

文部省が どうも考えていたようで。

今も 例えば 刑事事件なんかで
取り調べの録音 録画

その映像を証拠化するのか
しないのかって議論があるんですけど

やっぱり その…

いろんな実験とか いろんな事件からも
明らかなように

やっぱり 映像インパクトの危険性
というのが いわれるんですね。

どんな映像も
実は 客観的に見えてますけど

どう撮るかとか どういう場面が
実は撮られているのかとか

というのは分からないんですよね。
でも やっぱり映像インパクトの怖さ

というのがあって
まあ ヒトラーとかはね

ナチは それで やっぱり

かなり 人心を動かそうとした
というのは歴史的にもあるし

絶えず気を付けなければ
いけないこと。

まあ これは これだけのメディアが
発達した現代では

もう映像だけではないですよね。

飯田さん どうですか? 今ね 現代では
SNSなんて話もありましたけれど。

そうですよね。 いや もう発展してるので
すごい気を付けてますし

やっぱ 自分が一個 何か お仕事とか
イベント終わったあとに

「ありがとうございました」って
つぶやくのも マネージャーさんに

一応 こう見せて「これで大丈夫ですかね?
受け取り側は」とか

一応 確認したりとかもしますし
なるべく 発言は気を付けてたりとか

数も気にしたりとか。
怖いものだなって思いつつも

でも やっぱり自分の名前で調べて
何か ちょっと安心感を得ようとする

っていうのも しちゃうんですよね。

何か 難しいとこですよね
だからSNSって 本当に。

でも やっぱり
情報を伝えていくっていう意味では

重要なツールなので…。
そうですよね。

そうですね。 映画の力を使って

教育を広めようっていう
動きがある一方で

やっぱり 映像の力でもって
大きな力に立ち向かおうとか

社会的なメッセージを発信しよう
ということも あると思うんですけれども。

いや~ 僕は
別に 社会的メッセージというか…。

「それでもボクはやってない」
という映画は

怒りっていうか…。

僕は驚いたわけですよね。 で
現実の ありのままの裁判を伝えたい。

という気持ちで作ったら
最初の試写の時に見た

映画会社のプロデューサーが…

それは多分 知らないこと
驚きに満ちあふれてた。

それがエンターテインメントに
なったんだろうと。 で

いわゆる社会派映画といわれているのに
かなりヒットした。

私 当時 高校生だったんですけど

社会の授業で 先生が見るっていう
それ見ました。

授業で見て。
授業で…。   はい 授業で見たんですよ。

本当に その時 見たのが
本当に今でも忘れられないので

やっぱ その映画を見てた時の
何だろう 教室の風景とかも

全然忘れられなくて。
で 衝撃的だったんですよ。

高校生の時に見て こんな社会とか
世界があるのかっていうのと。

やっぱ それを見て刑事裁判とかについて
勉強するんですよ。

で えん罪についても勉強して

自分たちの思うことを書くっていう授業を
まさに受けました 私。 そうなんです。

実は 教育映画作ってたんですね。
(笑い声)

もうだから すごい
何か 今 感激してます。

さあ 牧野省三なんですけれども

第1作を撮ってから
だいぶ年月がたちまして

その間に無声映画の世界にも
変化が起きていたということなんですね。

そこで牧野省三 また動き出すと。

大正10年 当時の東京博物館で開催された
活動写真展覧会。

見学に訪れたのは
まだ皇太子だった 後の昭和天皇。

牧野が手探りで映画作りを始めて13年

日本で活動写真が
お墨付きを得た瞬間でした。

同時に それまでの活動写真を
否定する動きも起こります。

役者の演技は 大げさで古くさく
女性役も男が演じる。

ストーリーは
歌舞伎や浄瑠璃がネタ元で

それを弁士が 面白おかしく脚色する。

牧野省三をはじめとする
れい明期の人々が作り上げた

このようなスタイルに
観客が飽き足らなくなってきたのです。

実は 大正7年ごろから

映画を改革しようという運動が
起きていました。

その背景には 第一次世界大戦の間に
外国映画が かなり進歩したことや

日本が近代国家へと脱皮したことに伴う

人々の意識の変化があったと
考えられます。

改革運動の中心の一人が
帰山教正という人物でした。

帰山は「芝居を そのまま
撮影しただけの活動写真は

真の映画ではない」と主張。

自然な演技や
写実的な映像が必要だと訴え

女形や弁士は時代遅れだと言うのです。

まるで 牧野省三を
名指しで批判するような物言い。

つい この間まで
日本映画のパイオニアだった牧野は

古くさい権威の象徴に
なってしまったのです。

新たな勢力からの挑戦を受けて立つ牧野。

こんな知恵を使って…。

ちゃうちゃう そんな剣士がおるかいな。

もっと自然にやらんと あかんのや。
もう一回。

大正11年公開の「実録忠臣蔵」。

42歳の牧野は
教育映画の成功を受け

娯楽の世界に戻ってきました。

この作品の持つ革新性について
専門家は こう分析しています。

で 一説には…

オリジナルのフィルムは
残っていませんが

昭和3年のリメーク版から
その内容を推測することができます。

速い動き 派手なアクション。

リアリズムへと
方向性が はっきりと転換しています。

こちらは 10年以上前に
尾上松之助主演で撮った「忠臣蔵」です。

斬り合いは まるで お遊戯のよう。

ピョンと跳んで くるりと回る。
その間 敵は じっと待ったまま。

牧野の「忠臣蔵」は
出演者に 大物スターだけに頼らず

新しい才能を積極的に起用。

この配役が マンネリ化した
型に毒されていない

自然な演技を可能にしたのです。

当時 映画製作もしていた
文豪 谷崎潤一郎は

斬新な演出だと大絶賛。

映画関係者からも
大いに注目を集めました。

しかし ヒットメーカーの牧野が
娯楽映画に復帰したのを

大手の映画会社は警戒します。

劇場に手を回して
締め出そうと圧力をかけました。

これに対して牧野省三は 大手よりも
面白い映画を作ることで対抗しました。

そうすれば 劇場主が
大手の圧力をはねのけてでも

お客が入る牧野の映画を
上映してくれるからです。

こちらは 当時の映画雑誌の広告。

牧野の必死な様子がうかがえます。

映画ファンが 自分の作品に
お金を落としてくれるか…。

その一点に 命運はかかっていました。

「実録忠臣蔵」のあと
牧野は アクション満載

過激な展開が見どころの作品を
増やしていきます。

この「百万両秘聞」は
消えた百万両の行方を巡る

3組の男女の駆け引きを描く
サスペンスタッチのアクション活劇です。

♬~

こうした
新しい時代の活動写真を作るために

牧野が求めたのが 新しい才能。

「実録忠臣蔵」の衝撃は大きく

牧野の下で仕事をしたいと考える
若き人々が集まってきました。

後に「地獄門」でカンヌ映画祭の
グランプリを受賞する衣笠貞之助や

「雄呂血」の剣げきシーンで
一世を風靡する二川文太郎

「紫頭巾浮世絵師」の金森万象などの
俊英たちです。

更に 映画のストーリーやセリフを書く
脚本家も。

「実録忠臣蔵」に強烈な印象を受けた

寿々喜多呂九平は

この人に監督してもらえば

面白いものが出来るだろうと

自作の台本を持って 牧野を待ち伏せ

車に飛び乗って じか談判したという

逸話が残っています。

その台本が「浮世絵師・紫頭巾」。

奇々怪々なミステリーと
迫力ある斬り合いの組み合わせが受けて

人気シリーズになりました。

寿々喜多は 牧野の下で
50本以上の脚本を書いています。

今も残っている作品の一つ「小雀峠」。

少年が母親を亡くし
生き別れの父親を捜す道中で

悪人を改心させるという
人情味あふれる物語。

歴史的な有名人や事件ではなく

オリジナルキャラクターによる
オリジナルストーリーへと

時代に合わせて
方向性を変えていきました。

この作品で悪役として出演しているのが

まだ無名の阪東妻三郎でした。

牧野が見いだした この新たな才能は
すぐに主役に抜てきされ

瞬く間に 大スターになっていきます。

バンツマの出世作「雄呂血」。

師匠の娘に恋した武士が
その正義感のために

悲惨な運命をたどるという 少し前までは
考えられなかったタイプの主人公を

登場させました。

忠義や武士道に殉じるのではなく
ニヒルでアウトローだけど

心優しいヒーローに 人々は熱狂しました。

牧野省三は 新しい仲間と
ヒット作を連発していきます。

それは 現代にまで連なる
日本人が こよなく愛する

時代劇ヒーローへと
受け継がれていきました。

阪東妻三郎に続いて主役を張ったのは…

いずれも 牧野作品で当たり役をつかみ

後に 日本の時代劇を支える
大スターとなっていきました。

新しい才能を発掘し 共に学び

一緒に新たな表現を追求する。

こうして牧野省三は

日本映画の父と呼ばれるように
なっていったのです。

新しいものを求め続けていくっていう
感じでしたけれども

飯田さんは どうですか?
何か 新しいものにチャレンジするとか。

そうですね 最近だと
オーディションを結構新しく

自分の中で変えてってる部分があって。

声優さんのオーディションって
この役をやって下さいっていう

1役を頂くんじゃなくて
出てくるアニメのキャラクターの…

例えば 5役あったとしたら
5役のキャラ絵と台本を渡されて

あなたは どれができますか?
この中から一つ選んで

オーディションテープを送ってきて下さい
という方式なんですよ。

なので そこまで自分で考えて… う~ん
制作さんは もうちょっと若い子を

きっと主役に使うと思うから
自分は 今の年齢と

このお仕事の感じだと この辺の脇の役を
ちょっと狙って…。

まあ 倍率も
ちょっと下がるじゃないですか。

ここを狙ってってみようっていう
一種の賭けじゃないですけど。

戦略があるわけね。
戦略を立てるようになりましたね。

一回 声優さんって…
例えばなんですけど

「ルパン三世」とかの
不二子ちゃんみたいな役とかに

パンって ハマったりとかすると
ほかのアニメでも

もう こういう人物像は
この人しかできないだろうっていう

流れが結構 出来てくるので。

僕は 新しいものっていう発想は
なかなかなくて いつも…

その世界は
今までと ちょっと違う世界だから…

でも ず~っと共通してるのは…
まあ ずっと共通って

ある程度
キャリアを積んでからなんですけど。

人の話を聞くっていうのを
意識的にします。

例えば シナリオを書いて つまんないとか
文句言われりゃ腹立ちますよね。

でも そこは まだシナリオで
映画になってないわけですよね。

だから シナリオ段階で
そういう言葉を聞く。

腹立ててる場合じゃないぞと。
実際 それで ちょっと

シナリオが変わったりとかっていうのは
あったんですか?

ありますよ。
もう いろんな現場のアイデアとかで

「シコふんじゃった。」っていう映画の時は
本当 象徴的で

正子っていうキャラクターの子が…
正子っていう女の子の役が

ず~っと僕の頭の中では 彼女が勝って
教立大学に白星が1個増える

という その考えだったんですよ。
だから ちょっと大きな子で

パワーがあって
みたいな発想でいたんですね。

だけど 何かね
もう一つ盛り上がらないんですよ。

で そういう話をした時に
ずっと照明技師で信頼している

長田さんっていう照明技師の人が
「監督。

正子 負けちゃ駄目ですかね?」って
言ったんですよ。

負ける… あるかもしれない。

女の子が 頑張って土俵に上がった。

だけど みんなの力になれず
ぶざまに負けていく。

それを見た ほかの部員が
やってやろうじゃねえかって

立ち上がる。 あっ そういう…
要するに 正子の黒星が

ほかの人の白星に代わるっていう。
なるほど なるほど。

「あっ これあり!」と思って
それでガラッとシナリオが変わりました。

書き換えました。 本当に そのひと言で。
そんなことあるんだ。

そういう気持ちを忘れないっていうのが
すごいなと思うんですけど。

でも 実際のところですよ…
例えば 飯田さん こう名を上げて

有名になって ちょっと自分に
自信がついちゃったりとかして。

いや… いや~ どうだろうな。
怖い。 怖いですよね。

絶対… いや どうだろうな。

何だろう…
下の意見とか 若い方の意見

私も絶対に ちゃんと聞くようにしてます。

怖いです そんなの。 座った瞬間に
崩れるんじゃないかなって思うので

なるべく…

もう毎日が勉強って思いながら
お仕事はやらせて頂いてますけど。

まあ 若い時は 多分 自分が

どんどん評価されたいとかって気持ちは

全く ないわけじゃないから
そういう意味では

ライバル的に見る人が
いないわけじゃないんですけど

年を取ってくると 何か
最近 逆に やっぱり応援したい気持ちが。

特に若い人が。 応援したい気持ちが
こんなに強くなるんだっていうのを

年取って分かりました。 不思議です
すごく。 評価は気になりますよ それは。

作った映画が やっぱり批判されると
悔しいし 褒められれば うれしいし

というのは もちろんあります。
もちろんあります。

あと 先生 社会の見る目が変わってきた
ということもね

さっき ありましたけれども
ヒーロー像が変わってきたっていう。

これは ヒーローって言っていいかどうか
分からないです。 例えば 先ほどの

「雄呂血」のバンツマの姿を
見ましたけれども

完璧にアンチヒーローですね。
一般的な意味でのヒーローではなくって

彼は ですから敗残者なんですね。
負けた人間なんですね。

それを主人公にするということは
まさにアンチヒーローが

主人公になっているということであって
それは何でしょうかね…

いろいろと解釈は
できると思うんですけれども…

短い時代ですけども
大正時代にはあったわけですね。

そういった中から…

先生 牧野は どうして こういったことが
できたっていうふうに?

それは難しい質問ですね。 つまり…

映画を いつまでも同じものではなくて…

ある時期から やはり
オリジナルなストーリーというのが

重要なものとして
牧野の映画の中に入ってくるわけですね。

全く違うタイプの剣げきスターというのを
どんどんと生んでいく。

ものすごく革新的な人間だったってことが
分かるんですね。

さあ 今日は 目指すものを手に入れるには
ということでね

牧野省三の知恵を
見てきたわけなんですけれども。

僕ね まずね 手に入れる前に
目指すものが持てるっていうのが

一番大事で…。 多分 僕は
やっぱり 自分の若い時を考えると

一体 自分は何をやりたいんだって
何を目指すべきなんだっていう

そこが分からないっていうのが
一番つらくて。 分かると

そのために どうしたらいいんだろう
というのを 発想になると思うんですね。

そこに個性は表れると思うんですけど。
牧野さんの場合は

実はスターだけではなくて
監督も脚本家も育てているんですよ。

本当に いろんな才能が
牧野さんのところから

羽ばたいていっているんですね。
人が集まってくる能力っていうのか

それが牧野さんの
最大の いいとこだったんじゃないのか。

全部 この時代の日本映画を支えていく

そういう才能が 牧野さんのところに
いたっていうのが

牧野さんの最大の魅力というか
謎というか。 本当に すごいですね。

頼れる親分ですよ。      すごい。
そうですよね。

何か本当に 何回も失敗されて
壁に ぶち当たって

でも きっと すごい方じゃないですか
本当に第一線を走り続けてて。

いい意味で プライドがないというか
何か 目指すものを手に入れるには

プライドとかに… 何だろう
固執しちゃ駄目なのかなっていうのを

今日 改めて思いましたね。 うん。

今日は
ご来店ありがとうございました。

ありがとうございました。
勉強になりました。

昨日は えびフライ。


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